<商い益々繁盛店>鏑木商舗(金沢市)

<商い益々繁盛店>鏑木商舗(金沢市)

石川県産業創出支援機構(ISICO)では、石川県内で頑張っている繁盛店を取材し、商い益々繁盛店としてご紹介いたします。

石川県の繁盛店をご紹介!<商い益々繁盛店>
「鏑木商舗」~武家屋敷から金沢九谷を世界に発信!!

<商い益々繁盛店>武家屋敷から金沢九谷を世界に発信!! 鏑木商舗

加賀藩が栄えた江戸時代から金沢には様々な伝統工芸が息づき、今日まで継承されている。
そんな金沢を代表する伝統工芸である金沢九谷の老舗として、184年の暖簾を守る鏑木商舗が、昨年、長年親しまれてきた武蔵から長町・武家屋敷に本店を移転して新たなスタートを切った。その想いを当店8代目店主鏑木基由氏に伺った。


鏑木商舗本店は武家屋敷へ
8代目店主鏑木基由氏鏑木社長が20歳の時に先代が他界したため、東京の大学に在学中、金沢と東京を往復した。
金沢にいる時は店主、東京にいる時は学生と同時に全国の百貨店で開催される物産展などの催事担当者として飛び回っていた。当時を振り返り、「20歳そこそこの人間に九谷焼を売ることは至難の業で、そんな時に自分は8代目としてどうやっていこうかと考えていました。
27歳から青年会議所に入り、青年会議所30周年の年にアートアンドサイエンスポリス構想、35周年の時に新金沢物語の提言に携わり、古い街、アート、文化が融合する金沢について勉強させてもらいました。
そんな経験を経て8代目としてどんな商いをするのかを自分なりに考え、看板がある限り半永久的に続く個人商店であるべきとの結論に達したのです。

その時、自分の理想とする本店は、九谷焼の器で料理を提供する飲食スペース、郷土館、焼物資料館、美術館、フォトスタジオ、日本庭園、工房などであった。遡ること19年前に自分なりの本店の青写真を確立して以来、その想いを実現できる場所をずっと探し求めてきて、昨年ようやく理想の空間に巡り会えたんですよ」と満面の笑みで語る。
将来的には「武家屋敷でゆったりと商売していることを東京の方に知ってもらうと同時に、東京からのお客さんに泊まってもらえるような施設も整備したい」と夢は膨らむ。


●鏑木氏が描く事業展開
まず金沢で足場を作ることが第一。次に東京に出店し、フランスに出て、ニューヨークに出るという構想だ。これまでも東京からいろんな話があったようだが、ずっと金沢に納得できる本店を構えることにこだわっていた。
「一昨年、東京・麻布十番の物件の話が舞い込み、見に行ったところ様々な好条件が重なった。自分の中では金沢の本店を移転してから東京に出るつもりだったが、順序が逆になったものの東京にまず鏑木分店を出店することに決めた。いざ、東京に出してみると、その瞬間からフランスやニューヨーク出店の話が飛び込むようになり、自分が動いたことで全ての話も動き出したような感がある。計画していた順番とは異なるが、結果的には自分の思い通りに進んできている。
フランスも今年1月には開設できる予定で、ニューヨークは松井秀喜がいる間になんとか開設したいと思っている」と夢がことごとく実現に向けて動き始めている。


九谷焼は日本の伝統工芸
鏑木商舗内美術館東京に店を持ったことで、「九谷焼は石川の伝統工芸ではなく、日本の伝統工芸なんだということを実感した」と言う。その想いが一層強くなったことで、金沢の本店が繁華街にある必要は全くなくなり、麻布十番の鏑木が武家屋敷の中に本店を構え、来てもらうだけでゆったりと金沢を感じてもらえる店であればいい。つまりナンバーワンではなくオンリーワンでありたいとの考えに行き着いた。

「九谷焼で食事ができ、美術館も無料で開放し、8代目として9代目にあたる息子や娘たちにこんな店舗だけどおまえたち継ぐ気はあるかと言える店舗をつくりたかった。180年続いている鏑木を通して、頑張ってくれている作家や問屋の人たちと共生していきたいと思っている」と現在の心境を語っている。


東京の人脈はホームパーティーが縁
おいしいいっぷく鏑木カウンター東京の鏑木分店では、月に2回ほど、鏑木氏が金沢から食材とお酒を持参し、東京の顧客を招待してホームパーティーを行っている。
飲食店ではないが器と料理は大切な関係にあるからだ。もちろん会費は取らない。例えば、冬だと甘エビとガス海老を50匹ずつ大皿に山盛りに出す。「それだけで東京の人たちは高級料亭に行ったぐらい感激してくれるんです。
そこにはヒルズ族や文化人、医療関係者、雑誌社の方たちと、とにかく様々な職業の人たちが友人を誘って来てくれる。次は誰々を連れてくるからと楽しみにしてくれている。そんな紹介による人の輪がどんどん広がって、短期間で思いもよらぬすごい人脈ができあがり、それがまた商売の面でも大いにプラスに作用し、フランス出店の話まで発展したんですよ」と鏑木氏自身が想定していた以上の出店効果に驚いている。

同店にとってこの店は、もはやアンテナショップではなく東京本店として機能しているのだ。


創業185年、自身50歳を機に
20歳の時から先代の代わりに組合をはじめとした公職の世話役をこなしてきた鏑木氏は、自身公職は50歳定年制を決めており、50歳になったら全ての公職を辞めて店主に専念する考えだ。
できれば店主と並行して金沢に残る稀少伝統工芸である和傘職人や下駄職人に弟子入りしたいとも考えている。商売の面では、「今頑張っている20代の職人たちと団塊の世代のベテランの職人さんたちが一緒になって、色絵の基本から勉強し直し、金沢独特の金沢九谷の伝統の技を継承し、後世に残る作品を創出できる職人を育てていきたい」と熱っぽく語る。

180年続いてきた鏑木の周りに集まってくれた人たちで何かやりたいとの想いがひしひしと伝わってくる。
「全国に散らばっている金沢九谷の保存や技術研究、職人を育成するNPO法人・金沢九谷倶楽部を立ち上げたところですが、自分としては47歳までが修業期間で、今やっと一歩踏み出し後継ぎになれたような気がしている」と感慨深げ。


金沢九谷を世界へ
東京に店を出したことで一つ肩の荷が下り、金沢に自らの理想とする本店を構えられたことで、次なるステップは、「どうしたらみんなが喜んでくれて九谷焼を残していくか。今年の東京・鏑木の売上目標を昨年の10倍に設定してきました。スタッフがそんなの無理だと言うから、無理じゃない、黙ってこの店舗を楽しめばいいんだと言ってきました。東京の店舗では入ってきたお客さんに金沢のお菓子とお茶をお出ししています。そうすると皆さんが『買いに来たんじゃないので』と遠慮されます。その時スタッフに『広告するお金はないのですが、皆さんにお菓子をお出しするぐらいのことはできます。ただ、麻布十番に鏑木という九谷焼の店があったと口コミで宣伝して下さいね』とお願いするように言ってあります。そんなお客様の紹介によるご縁で大きな仕事が飛び込んでくることもあるのです」
と損して得取る商いに徹す。

184年の暖簾を受け継ぐ鏑木商舗が、この長町・武家屋敷に移転し、これから1年後、5年後、10年後、20年後・・・、どんなふうに息づいていくのか大いに楽しみである。


鏑木商舗商 号 鏑木商舗
本 店 金沢市長町1-3-16
創 業 1,822年
従業員数 10名


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