石川県ふるさと語りの最近のブログ記事

道の駅桜峠(石川県能登町)の逸品とは?お店ばたけ 週刊ウンチク
第324回(2007.6.28)
「道の駅桜峠 能登のドライブは寄り道が楽しい」
提供:松波酒造 金七聖子さん

◆奥能登の地酒「大江山」醸造元 松波酒造の若女将おすすめ!奥能登ドライブ休憩地「道の駅桜峠」の魅力をレポートします。

◆能登のドライブは寄り道が楽しい【道の駅 桜峠】

松波酒造 金七聖子さん奥能登の地酒、松波酒造 若女将の金七聖子です。

私はドライブが好きです。 目的地に着いちゃうより、道に迷ったり、寄り道したり、お店に入って何か買ったり・食べたり。 のりしろ的な時間が旅の楽しみです。

これからは能登のドライブにいい季節、海や山へ向かう途中に
ちょっと立ち寄りたいのが道の駅 桜峠です。

能登空港から奥能登方面へ車で5分。上り坂の途中にあります。
店内には地元の特産品が沢山あるけれど、普通のお土産店に無いようなものもあります。

能登みやげ、桜峠の招き猫 案山子窯能登島の地元冊子「oine おいね」や表情豊かな「まねき猫」

能登町の高校オリジナルクッキー能登町の高校オリジナルの食品「クッキー」「きゃらぶき」
(このクッキーは低い確率で☆型クッキーが1個入っているそうな。駅長さんの話では!)


人気のご当地ソフトは「ブルーベリーソフトクリーム」
能登町の特産品、地元のブルーベリーを使っています。夏場には、フレッシュな果実も売られています。


道の駅桜峠では、能登の先端、珠洲市「二三味珈琲」も飲めます!そしてそして、道の駅桜峠では、珠洲市の先端にある「二三味(にざみ)コーヒー」が飲めます。
しかも3種類あります。
こだわりの焙煎で品質重視の珈琲屋さんです。
豆を購入して、家で淹れることはあっても、外で二三味珈琲飲めるお店は数少ないので、立ち寄った時に飲んでほしいです。

奥能登の地酒、松波酒造の日本酒も買えますよ!道の駅桜峠あっ、お酒コーナーもあります。
大江山は「花つづら」と「杜氏土産酒 能登」
名所の写真ラベルの「恋路海岸・九十九湾」がありますよ!

道の駅桜峠は、店内のディスプレイやレイアウト、商品アイテムはかなり短いスパンで変わります。
配達に行く私が驚くくらいの短期間。 だから楽しい。

帰り道にもおすすめです。
美しいサルビアロード。桜峠から私の住む松波への道に「サルビアロード」があります。
気持ちのいいドライブが続きます。

道の駅桜峠
石川県鳳珠郡能登町字当目
TEL&FAX: 0768-76-1518
道の駅ガイドホームページ 地図情報などはこちら 
(Googleマップの目印マークは若干ずれています。57号線=珠洲道路沿いの「道の駅桜峠」です)


◆リンク集
松波酒造【大江山 おおえやま】 石川県奥能登の地酒 お中元に日本酒を贈りましょう。
【大江山 若女将の酒楽日記】 能登杜氏発祥の地、能登半島の松波酒造から酒蔵風景とグルメ歳時記をお届けします。
道の駅桜峠 道の駅桜峠公式サイト。

春の味覚、ふきのとう

お店ばたけ 週刊ウンチク
第260回(2006.3.23)
「能登半島の春…山菜の季節です」
提供:のとコム 熊谷京子さん

◆わらび、山うど、ぜんまい、水ぶき、たらの芽、まがり竹…
能登の春、山菜の季節です

こんにちは
のとコム店長の熊谷京子です。春うららですね♪

私は、春の山歩きが大好きです。
七尾市の中山間地の地区で育ちましたので、
この季節の、山菜採りが一番わくわくします。

春には、山菜採り、たけのこ掘りと、
楽しみなことがいっぱいありますね。
娘たちも、山菜採りが大好きなんですよ。

私は七尾市徳田地区に住んでいます。
七尾駅から、ひと駅、金沢寄りです。
見渡す限りの、田園風景と、山の新緑がたまらなくきれいなところです。

こんなきれいなところですから、山菜の宝庫でもあります。
山菜採りには、帽子、軍手、長靴と、完全防備で行きます。
見かけだけは、立派な山菜採り人なんですよ。ヽ(;´Д`)ノ

山の中で、必ず出会うのが、蛇なんです。
いつか、手を伸ばした先に、とても、りっぱな蛇がいました。こればかりは苦手ですね。

びっくりするやら、なんだかんだで
毎年、とても賑やかに、楽しい山菜採りをしています。

コシアブラ

わらび、山うど、ぜんまい、水ぶき、たらの芽、まがり竹、等です。
一度に、沢山採れるので、それを、いかに一年中素材をいかして、美味しく味わうか。(・へ・;;)・・・・
昔から皆様、工夫してきたことだと思います。

家庭で漬けるのは、なかなか大変です。
水っぽくなったり、風味が損なったり
永く持たせるのも、工夫が要ります。


のとコムの、長者漬けを紹介します。
素材にこだわっています。
山菜、野菜を昔から伝わる方法で漬け込み、素材の風味を生かした漬物です。

酒粕は、能登の酒粕にこだわり、長期貯蔵専門店の老舗のものを厳選しています。

わらび、山うどは、地元の野山で採れた物を新鮮なうちに塩漬けしました。
手間ひまかけ、粕の中で3回漬け替えしています。
例えば、食べる前に粕をおとしますが、拭きおとすのは面倒な場合、
水で洗っても粕の味・風味が落ちる事はありません。

わらび粕漬け
わらびは山菜特有のぬめりと食感があります。

山うど粕漬け
山うどは天然物ですのでとても香り豊かです。

うり粕漬けきゅうり粕漬けも美味しいですよ。


山菜は、熊淵川の周りで採ります。
富山県氷見市の近くにあり、大呑卿と呼ばれています。
熊淵川の下流は、東浜漁港になっています。
上流には「コロサ」という、素敵なところがあります。
地名の由来は、地元の人たちに、そのわけを尋ねると

「コ は狐(きつね)、ロ は狼(おおかみ)、サ は猿(さる)」の意味で、昔から、狐や狼、猿が、沢山いたから
「コロサ」とカナ書きになっている。
    ふるさとの民話集より  文・徳田「郷土の民話」研究会

とのことです。
そんな山間の村ですから、山菜も豊富です。

現在は、多根ダムが完成し、ここは、新七尾八景の一つに数えられています。
釣り人に、内緒の人気スポットですよ。
もちろん、洋画家さんにも、デートにもね。
この季節に是非お勧めですから、遊びにいらしてくださいね。

<リンク集>
山菜漬物など、能登半島のおいしい食材、高級珍味、郷土料理・・・のとコム
●能登半島の七尾から、のん兵衛さんへ能登の美味しいものを紹介・・・居酒屋きょうこ(ブログ)
のとコムのポッドキャスティング!酒の肴、食育、子育て、人生相談の話も?・・・のとコム3人娘あははのぽん!(ブログ)

しらやまさんと親しみをもって呼ばれる白山。
お店ばたけ 週刊ウンチク
第257回(2006.3.2)
「『准后』を読めますか」
提供:明光自動車サービス 三納嘉一さん

◆『准后』を読めますか~聖護院門跡・道興准后

しら山の雪のうちなる氷こそ 
麓の里のつるぎなりけり    (道興准后)

文明一八年(一四八六)の夏の話である。吉野から尾添の山道を急ぐ、四十名ばかりの修験者の集団があった。村人も何人かの山伏姿はときどき見ることもあるが、こんなに大勢の集団は見たことがないので、戸口から眼だけを出して、みな不思議そうに眺めていた。

これが京の聖護院門跡 道興准后(どうこうじゅごう)の一行で、白山山頂までは登らずに、三の室(尾添~大汝峰間にある檜新宮だろうか?)で禅定をする手筈になっていた。彼らは吉岡を過ぎ、手取川を左に見て下だり、六年前に消失した白山さんの跡を拝んで、金剣宮へ参じた。
漏れ聞くと、これから石動山を経て、立山で禅定し、関東、陸奥へと旅を続けるといい、多くは語らなかった。
(『廻国雑記』の一部要約)

石川県白山市、旧鶴来町を訪ねた偉い坊さんに、京都の聖護院門跡(しょうごいんもんぜき)・道興准后がいる。彼が著した中世の紀行文には「廻国雑記」がある。

◆「准后」を読めますか
インターネットでは「振りがな」を付けるのが面倒なので大抵の方は不親切に、漢字のまま書き進まれているようだ。初出のときだけでも、「振りがな」をつけるのが親切と思うが・・。

尤も、間違えてかなを振ると、責任もあるからと、敬遠している向きもあるかも知れない。『鶴来町史』では「准后」にルビを振って、老眼と虫眼鏡を使って「じゅごう」と読めた。

インターネットで幾つか検索すると、「じゅこう」「じゅんこう」「じゅんごう」など3つがあり、それでは困る。本当は何と読めばいいのーーと云うことになる。

さて、翌日、「広辞苑」を繰ってみた。

----

じゅごう【准后】
(ジュンゴウとも) 准三宮(じゅさんぐう)に同じ。

じゅさんぐう【准三宮】
平安時代以降、皇族や上流公卿に、三宮(太皇太后・皇太后宮・皇后宮)に准じて、年官・年爵を給与した経済的優遇法。後には年官・年爵なく、名だけの優遇法となった。准三后(じゅさんごう)。
大鏡良房「このおとどは・・-の位にのぼらせ給ふ。年官・年爵の宣旨くだり」

----
何とありがたい「広辞苑」だこと。
手許の別の辞典にはなかった。思わず片手で拝んでしまった。

実は「准后」には二つの読み方があり、鶴来町史の「じゅごう」も、また他の「じゅんごう」も正しいということが判った。

<リンク集>
白山市・旧鶴来町の自動車修理・販売店
お役に立ちます★車のことなら…明光自動車サービス

第235回(2005.9.29)「大伴家持と鰻(うなぎ)」
提供:明光自動車サービス 三納嘉一 さん

鰻の蒲焼き

今回は、文学に造詣が深い、
自動車販売、リース、車検の
明光自動車サービス 三納嘉一さんより
大伴家持と鰻(ウナギ)に関する話題をお届けします。

左の写真は、お店ばたけ出店店舗、
食の安全・安心にこだわった
吉田水産の「うなぎの蒲焼き」です。


 

大伴家持と鰻(うなぎ)

資料によると、我が国に現存する最も古い歌集は、奈良時代後期に編纂された万葉集であろう。
それまでは口誦であったが、漢字の伝来によって書き留められるようになった。
その撰に最も関わったのは大伴家持だといわれている。

大伴家持は29才ごろに越中の国守となって赴任したが、そのころの越中は、今の富山県に能登半島を加えたほどの大きさであった。

そこで、水垣 久 編の「大伴家持全集」から引用してみよう。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/zensyu.html


・たまくしげ二上山に鳴く鳥の
     声の恋しき時は来にけり
  (巻十七-三九八七)

・之乎路からただ越え来れば羽咋の海
     朝凪したり船梶もがも
  (巻十七-四〇二五)

・珠洲の海に朝びらきして漕ぎ来れば
     長浜の浦に月照りにけり
  (巻十七-四〇二九)


この他家持の歌に鰻の歌がある。面白いから下記しよう。

・石磨尓 吾物申 夏痩尓 吉跡云物曽
  武奈伎取喫

・イハマロニ ワレモノマヲス ナツヤセニ
  ヨシトイフモノゾ ムナギトリメセ

・石麻呂に吾れもの申す 夏痩せに
  よしといふものぞ むなぎとり召せ

いつも痩せている石麻呂君よ。
夏痩せに良いという鰻でも食べたらどうかね。 ---という大意であろう。

つまりここで云う「むなぎ」は鰻のことで、例えば謡曲を習った方はすぐお判りでしょうが、梅を「ムメ」と発音する類である。

この歌の変体仮名の軸が床の間にかけてあったのは九州柳川の若松屋だった。
ここへは今年も「うなぎ」を食べに出かけたが、古い廊下を突き当たってすぐの部屋である。

鰻も他の食品と同じく、輸入に大部分頼っているため、食品検査を厳重にやって貰いたい。
去年も今年も、台湾産、中国産の鰻から禁止されている筈の「エンロフロキサン」が検出されているという。 これを聞いたなら、さぞ家持も嘆いたことだろう。

第231回「台風と白山」【週刊ウンチク】

| コメント(0)

第231回(2005.8.11)「台風と白山」
提供:無添加漬物風来西田栄喜さん


3名山のひとつ、白山には、夏山登山に来る人が沢山います。

白山は、石川、福井、岐阜、富山の4県にまたがり、富士山、立山とともに日本三名山の一つに数えられる山です。

この山の恵みを日々感じている、無農薬野菜の農業者の無添加漬物 風来 西田栄喜さんが、白山と台風についてお話します。


 

台風と白山

今年も台風がきましたね。去年のように当たり年になってくれなければと思います。

石川県は昔から自然災害はあまりない地域です。でっぱった能登半島の影響もあるとか、ないとか。台風に関しては、本州縦断コースだと思ったより影響が少ないときが多々あります。

一昨年の9月、風来のお店で仲間の結婚披露パーティーをやりました。そのときも台風接近で外でのBBQは出来ないな?と思っていた のですが、蓋をあけてみるといつもより風が少ないくらい。しかも曇り空で最適でした。

冬の白山(西山より撮影)。

これは私達が「しらやまさん」と親しみをもって呼んでいる霊峰白山のおかげになります。白山連峰が台風の風を遮断してくれているのです。
またしらやまさんのおかげで水不足の心配もありませんし、まさに恵みをもたらしてくれる山になります。
登山家の野口健さんが白山に来られて、ここには霊峰として人々に畏怖が残っている。だから山もきれいなんだとおっしゃられてました。

うちの親も毎朝しらやまさんに向って手を合わせています。そんな背中をみて育ちました。そして農業について改めてしらやまさんへの感謝と畏怖を感じています。この想いは子どもにも伝えていきたいです。

第177回「源さん語る・加賀野菜」【週刊ウンチク】

| コメント(0)

第177回(2004.7.29)「源さん語る・加賀野菜」
提供:無添加漬物 風来 西田栄喜さん


風来の夏野菜

今週は、30aの畑で年間50種類ほどの野菜を無農薬で育てている農業者、
風来の源さんが語る「加賀野菜」です。

[源さん畑通信Vol.25 加賀野菜]

種の時に書きましたが、在来品種の中で見直されてきたのが伝統野菜です。京野菜の水菜、浪速野菜の水なすなど、このところ消費量が増えてきたものもあります。

石川県にも伝統野菜のひとつとして加賀野菜があり、最近見直されてきました。加賀野菜は細かくいうと以下の定義になってます。

1945年以前から石川県民に親しまれ、栽培されている野菜の中で1997年に12品目認定されました。 現在は15品目になりました。

源助大根、さつまいも、打木赤皮甘栗かぼちゃ、二塚からしな、金時草、加賀太きゅうり、ヘタ紫なす、金沢一本太ねぎ、加賀れんこん、せり、加賀つるまめ、たけのこ、赤ずいき、くわい、加賀春菊 です。

この中で風来で育てているものもあります。源助大根は寸胴、寸詰まりで普通にスーパーなんかに並べても売れないのですが、キメが細かくジューシーで、おでん、漬物に最適です。うちでは大根サラダにしてよく食べます。

また加賀野菜というと高級なイメージがありますが、今も金沢の方で多く育てられているのが、加賀つるまめです。加賀つるまめは独特の香りがあるのですが、とにかく育てやすく通称「だら豆」と言われています。 「だら」とはこちらの言葉で「あほ」とか「バカ」という意味です。

それから、小さい頃からよくれんこんを食べていたのですが、今思うと、こちらはれんこんの産地でもあったんですよね。我が家ではれんこんの天ぷらはソースで食べる習慣があって、今もそうして食べています。
最近のれんこんの食べ方のヒットはれんこんと加賀丸いも(つくねいも、粘りの強い山いも)を同量すりおろし、揚げたものです。これはおつまみにも良く、冷めてもおいしいです。


無農薬野菜、キムチ...風来Web通販
"いいね金沢"加賀野菜...加賀野菜の種類やレシピなど。
おいしい店松本のぶチャンが語る「加賀野菜」
「妖しい色やね、金時草」 ...加賀野菜のドレッシングを商品化。直源醤油

第133回「横綱・阿武松緑之介」【週刊ウンチク】

| コメント(0)

第133回(2003.9.18)「横綱・阿武松緑之介」
提供:ホリカワ 花野美貴雄さん


絵本「能登昔ばなし」石川の道の駅などにあります。

今週は、石川のおもちゃ屋さん、ホリカワおすすめ
石川の絵本「能登昔ばなし」から、江戸時代に活躍した
能登の名力士 阿武松緑之介(おおのまつみどりのすけ)の物語です。

横綱・阿武松緑之介


 江戸時代のお話です。能登、能都町の七海村に長吉という若者がおりました。
 長吉は大きな体で、、力も強かったので、村の人々から、相撲取りになれとすすめられていました。

 二十五才になった時、長吉は江戸の武隈関という親方に入門することになりました。
 村の人々もよろこんで、長吉が江戸へ旅立つ日に、みんなして見送りました。


 ところが、江戸にいった長吉は自分より強い者がたくさんいることにびっくりしてけいこもろくにしませんでした。

 くる日も、くる日も、けいこもせずに大飯ばかりくらっていたので、親方から破門にされてしまいました。
 長吉はいくところもないので、村へかえることにしました。その道中、長吉は村へかえっても、みんなにあわせる顔がないなあと、ふさぎこんでいました。


 ところが、そんな長吉も、雄大な富士山の姿にはっとしました。
 「おれも、富士山みたいにだれにみられてもはずかしくない立派な相撲取りにならねば、村にはかえれんわい。」

 長吉は今までの自分を反省し、江戸にもどっていきました。 
 そして、両国橋の錣山(しころやま)親方にに入門すると、それは熱心にけいこをはじめました。 長吉はみちがえるほど強くなり、五年後、小柳長吉というしこ名をもらいました。

長吉はみちがえるほど強くなりました。

 文政五年の春、とうとう長吉は前の親方であった武隈関と勝負しなくてはならなくなりました。
 長吉は、破門にはされたけれど、世話になった親方と相撲を取るのは気がすすみません。そんな時、長吉は村へかえろうとした時、道中で見た富士山を思い出しました。
 「そうだ。なにもまようことはないんだ。富士山みたいに正々堂々とやればいい。」
 そして、長吉は立派に武隈関を上手投げで負かしました。

 長吉はそれからも、もくもくと熱心にけいこをつづけ、文政十年には阿武松緑之介(おおのまつみどりのすけ)と名のるようになり、翌年ついに横綱になりました。

長吉は能登にとって、初めての横綱になりました。

<ミニリンク集>
能都町 …阿武松緑之介の出身地である、能都町の公式サイト。
財団法人日本相撲協会公式 大相撲ホームページ石川県出身の力士現役では出島 栃乃洋。引退した方では舛田山(現千賀ノ浦親方)、輪島大士(第54代横綱。現在は様々な方面でご活躍中)
『ヤマト猛(タケ)る!』…七尾市石崎町出身の漫画家 宮下英樹さんの、能登を舞台とする高校相撲の漫画。
唐戸山神事相撲 …羽咋市の、2000年の歴史を持つ「水無し・塩無し・待った無し」の神事相撲。9月25日開催。
七尾明治記念相撲 … 毎年10月第3日曜日に行われる腕に自信のある猛者が集う大会。小丸山公園内 愛宕山相撲場にて開催。10月19日(日)開催。
蓮華山大相撲志雄町で500年余りの伝統を誇る大相撲。
応仁年間、越中・加賀・能登の力自慢が年に一度に源平の古戦場となった蓮華山で相撲を始めたのが今に伝えられています。10月17日(金)開催。

第132回「本物志向が久しく」【週刊ウンチク】

| コメント(0)

第132回(2003.9.11)「本物志向が久しく」
提供:お店ばたけ事務局 totoさん


輪島塗、「地付」の様子

今週は、お店ばたけ事務局のtotoさんが
石川の伝統工芸「輪島塗」「山中漆器」についておはなしします。
石川県には、いくつもの伝統工芸がありますが、食器であるこれらは生活にも取り込みやすいものですね。

本物志向が久しく

みなさん、環境にやさしく、
体にも優しい食品・衣料・住まいに注目されていますか。
身近なもので最たるものは、毎日使っている食器でしょうね。

ご飯にしても、おみそ汁にしても毎日、美味しく食べたいですね。
陶器の食器は、さほど意識はしませんが、漆器となると、よほど使い慣れている人のほかは、敬遠しがちです。

”扱いづらくて”という方がほとんど。
でもそれほど神経質にならなくても、良いようです。

ところで、石川県内には、輪島塗山中漆器の2大産地があります。
なぜか、「ぬり」と「しっき」の言い方を使い分けていますが、その理由までは寡聞にして知りません。どなたか、教えてください。

__________________

輪島塗は、豪壮で男性的・・・

山中漆器は、繊細優美で女性的・・・
__________________

と言われています。
手に取ってみると、「なるほど」と納得。一度試してください。
豪快にどんぶり飯をかき込むには、輪島塗。
じっくり煮込んだ煮物の盛りつけは、山中漆器で。

朱・赤の伝統的な色具合もいいですが、
落ち着いた緑、黄も、洋風食卓にピッタリ! 良いものです。

プラスチックの食器で簡単に済ませず、時には本来の器を楽しみましょう。
自己満足でも良いじゃないですか。

★「愛用品」で毎日の食事を楽しむ・・・
 作家ものの漆器や陶器を販売するお店<生活具の店器屋>もごらんください。

第124回「御陣乗太鼓」【週刊ウンチク】

| コメント(0)

第124回(2003.7.17)「御陣乗太鼓」
提供:ホリカワ 花野美貴雄さん


絵本「能登昔ばなし」石川の道の駅などにあります。

今週は、石川のおもちゃ屋さん、ホリカワおすすめ
石川の絵本「能登昔ばなし」から、輪島名物「御陣乗太鼓」の歴史物語です。

御陣乗太鼓

 戦国時代のこと、越後の上杉謙信が能登の国まで攻めよせてきました。
上杉勢は熊木、穴水、七尾城を攻め落し、珠洲から輪島へと攻め込んできました。

 名舟という村まで植えすぎ勢が攻め込んできたときのことです。
「このままでは、負けてしまう。なにかよい考えはないものか?」
と、村の人々は話し合いました。
一人の老人が上杉勢を追いはらうよい考えをだしました。
それは木でつくった奇妙な顔をした面と海草であしらった髪の毛やひげで変装をして
上杉勢をおどかそうというのです。

日が沈みかけた名舟の浜に、村の人々が変装をして立つと、その異様な姿は、効果ばつぐんのようにみえました。

そして、村の人々は静かにそっと、上杉勢の背後にまわりこみました。

しかも、老人の合図とともに、いきなり陣太鼓を打ちならしたからたまりません。

ドンドコドンドコ、御陣乗太鼓

妖気が人々に乗り移ったようだ・・・

ここを立ち去れ!

勝ち進んできた上杉勢にしてみたら、それらは今までまかしてきたものたちの亡霊にみえたのです。そして、村の人々からみても、御神乗りといって妖気が面をつけた人々に乗り移ったようにみえました。

びっくりした上杉勢は、あっという間に退陣してしまいました。
村の人々はそれをみて、一安心したのはもちろんですが、

「これは舳倉島の田心姫神(たごりひめのかみ)の助けがあったからにちがいない。」

と、いいあいました。

それから、毎年7月31日から8月1日にかけて、海に建つ鳥居まで、舟で御輿を運び、お参りをするようになりました。
それ以後、御神が敵陣に乗りこんだということから、陣太鼓が御神乗太鼓と呼ばれるようになりました。

<ミニリンク集>
名舟大祭 …7/31・8/1に開催される、御陣乗太鼓で有名な名舟の夏祭。
御陣乗太鼓実演2003道の駅輪島ふらっと訪夢にて午後8時40分から披露されます。
輪島大祭8/23~26開催の、能登の特徴ある巨大キリコのお祭り。
ふらっと訪夢 …市内循環「のらんけバス」が、輪島観光をお手伝いします。
輪島へのアクセス …輪島市観光協会ホームページ。
輪島におこしの際はぜひ能登空港をご利用ください。

第119回「門前町 泣き砂物語」【週刊ウンチク】

| コメント(0)

第119回(2003.6.12)「門前町 泣き砂物語」
提供:ホリカワ 花野美貴雄さん


絵本「能登昔ばなし」

能登空港開港間近、今週は能登・門前町のむかしばなし。
歩くと、キュッキュッと音がする門前町琴ヶ浜の「泣き砂」は有名ですが
その砂にまつわる悲恋物語を、ホリカワの絵本「能登昔ばなし」からご紹介します。


泣き砂物語


重蔵は一目千両の遊女、おさよに会いたくなる

 むかし、輪島に重蔵という船乗のりがいました。重蔵は大きな舟を自分の手で作ってみたいという夢をもっていました。
 だから、お金をためながら、ひまさえあれば船大工の勉強をしていました。
 ある日、重蔵はある港につきました。その港には、金持ちばかりを客に持つ一目千両といわれる美しい遊女がいました。
 重蔵はどういうわけかその遊女に一目会いたいと、今までためたお金を出しました。
「おれは貧しい船のりだ。これだけのお金しかないが、一目おまえにあいたかった。」
という重蔵の言葉におさよという女は言いました。
「今までたくさんの人とあったけれど、あなたほど心のこもった人はありません。」
 二人は酒を飲みながら語り合いました。おさよは輪島からすこしはなれた剣地の浦土村の生まれでした。酒によったおさよが唄いました。

 山の奥山の一軒家でも
 竹の柱に萱の屋根
 茶碗で米磨ぐ所帯でも
 手に鍋さげても厭やせぬ

 重蔵は涙をうかべて唄うおさよをいじらしく、いとおしく思いました。
それから半年ばかりたったある日、重蔵はおさよに北の海へいくことをいいました
「この仕事で船のりをやめる。かえったら夫婦になろう。そして、船大工になろう。三ヵ月もたったらかえってくる。長くて半年もかかるまい。なあ、まってくれるな。」
 それから、おさよは重蔵の言葉をしんじて重蔵のかえりをまちました。
 しかし、三ヵ月たっても重蔵はかえってきません。おさよは重蔵を慕うあまり病気になってしまい、ふるさとの剣地の浦土村にかえされました。
 そんなある吹雪の夜、ゴーゴーという海鳴りをきいたおさよは一心に浜めがけて走り出しました。おさよにはその海鳴りの音が重蔵のよび声にきこえたのです。
 浜にでたおさよは沖を見つめていました。と、とつぜん、おさよがさけびました。
「船が、船がみえる。重蔵さんの船がみえる。」
それは重蔵を思うおさよにだけみえるものでした。そのひとつ岩にたちつくすおさよの姿は村の人々にとっても、あわれなものでした。
 そして数日後、ひとつ岩にたつおさよは冬の荒波にのまれて死んでしまいました。
 春が来ても重蔵はかえってきませんでした。
 そして、ある日、浜であそぶ子どもたちが大さわぎをしています。
「砂が、砂が泣いているようだ。ほら、歩くと、キュッキュッと泣いているだろう。」
そこはおさよがたっていたひとつ岩のあたりでした。村の人々はいいました。
  「おさよさんが重蔵さん恋しさに泣いているんだろう。」

おさよは重蔵を思う余り、荒ぶる冬の荒波に・・・

それから不思議なことが起こるようになりました。沖をとおる船がひとつ岩の目前にくると、急に動かなくなったり、速度が遅くなったりするようになりました。
 「おさよさんが重蔵さんの船だと思ってとがめるのかもしれん。あわれなことだ。」
 村の人々は浦土町の海のよくみえる山におさよの祠(ほこら)をたててやりました。

 ところが、やっぱり沖をとおる船は動かなくなるんです。
「おさよさんはほんに重蔵さん思いだ。あの祠から船はまるみえだし、まだまだ、重蔵さんを恋しく思っているんだろうよ。」
 村の人々は考えて、祠を船のみえない場所にうつしました。

 それからは、沖をとおる船は動くようになりましたが、浜を歩くとキュッキュッとなる声だけはやみませんでした。今でも剣地の琴が浜は泣き砂の浜と言われています。

<ミニリンク集>
泣き砂の音が聴けるページ…門前町ホームページより。

第93回(2002.12.5)「まつが作る味噌汁の味噌はどんな味噌だったか?」
提供:金沢・ヤマト醤油 山本晴一さん


ヤマト醤油 山本晴一専務。

今週は、醤油ソフトクリームも大好評の「ヤマト醤油味噌
山本晴一さんの味噌汁ウンチク第2段です。
松嶋菜々子さん演じるまつが味噌汁を供するすがたを見て
「ハ~ うちの嫁さんになってくれんかなァ~」と思った男性も多いはず!?

■パーティーで話題になる!キャラメル味のデザートWeb通販はいかが?
 ヤマト醤油「醤蔵アイス」 6個入り/12個入り有。 6個入り=3,150円

醤蔵のソフトクリーム。しょっぱくないよ。
キャラメル味のヤマト醤油
"元祖"醤油ソフトクリーム。

ソフトな食感なんだとか!
う~、ソフト!クリーミィー!
固いのを、くりくりかき出すのとは違うみたい。

鍋パーティーは、びっくりデザートで締め!
「晴一店長」のイラスト入り。
鍋パーティーの締めにデザートとしていかが?

 →クリスマスに! 新年のパーティーに! Web通販でのお申し込みはこちら

「まつが作る味噌汁の味噌はどんな味噌だったか?」

さて、NHKの大河ドラマ「利家とまつ」は御覧になっていますか?
「まつ」の味噌汁は、諍いが終わった後に、平安な状態になった時に象徴的に利家に供されています。
あの味噌汁に使われている味噌や、おだしはどんなものだったのでしょうか?
興味はありませんか?

まずは、歴史的背景の説明から・・・。

・利家が生まれたのは、天文6年(1537年)。
・まつは、天分16年(1547年)生まれ。
・二人が結婚したのは、永禄元年(1558年)。利家21歳、まつ12歳でした。
・翌年には、長女・幸を、1562年には、長男・利長を生んでいます。
このころの住まいは、荒子城から、清洲の町でしたから、たぶん、豆味噌を食べていたのだと推測されます。

・天正3年(1575年)利家38歳、まつ28歳の時に、越前国の府中城(参萬五千石)の城主(大名)となる。初めての城持ち。
・天正9年(1581年)利家、能登一国(二十三万三千石)を領有する。七尾城に居城する。
・天正11年(1583年)利家、秀吉より加賀国の石川、河北郡を加増される(四万石)
・同(1583年)6月14日に、七尾城から、金沢城に入城して、この街の発展の礎を築いていく。利家46歳、まつ36歳の時です。
天正13年(1585年)長男、利長を越中国の3郡(砺波、婦負、射水)の領主にする。加賀百万石を築くお米の石高は、この越中国で主に算出されたと言われております。当時の加賀平野は、手取川(あばれ川)の川筋の変化があり、荒れ野も多く、今ほどの水田地帯ではなかったと言われております。

・文禄2年(1593年)に、利家の四男・利常が生まれる[母は側室チヨ]
・慶長19年(1614年)には、この利常が、前田家三代目となる。金沢の町の整備は、この3代藩主・利常のころにようやく完成することになる。
・慶長の後の年号は、元和、寛永と来て、お江戸の文化(=日本の食文化)が花開いていくのです。

さて、それでは、本題に入っていきましょう。
加賀百万石の味噌はどんな味噌だったのでしょうか?

利家が金沢に入城してからは、味噌も軍需品として統制され、その製造販売についてはいろいろと制限が加えられていた、と記録にありました。
利家が金沢で作らせた味噌は、豆味噌ではなくて、大豆と米糀で作る、現在の米糀味噌(ただし、長期間の保存が利くように、塩分は非常に高い、辛口の味噌=くど味噌=くどい・塩辛い味噌)だったと考えられている。
塩分が高い結果、長期間(2夏以上)熟成しなければ食べられない、色の濃い、つまりは豆味噌に色の近いものだったと考えられます。
色は豆味噌みたいなチョコレート色に近いけれど、米糀が入っているので、米の甘味もあり、新鮮な魚や野菜に良く調和する味噌であったと思われます。

記録によれば、藩内の領民に対する、最初の禁令は、江戸幕府が創設された(1603年)直ぐ後の、慶長10年(1605年)に発せられていて豆腐や味噌の原料である、大豆と塩に対して、加賀藩の統制があったことがうかがい知れます。

加賀藩は、能登に塩田を設けて全部を買い上げ、大豆は藩内の収穫だけでは足りずに、越後から買い入れていたとあります。
寛永14年(1637年)=年常の頃には、「20石御前(藩主)味噌用、河北郡大豆。百石御台所(大奥味噌用、新潟中大豆」とあります。藩用の味噌は、大野町(わが町)、宮の腰(銭屋五平のいた金石町)でつくり、一方は金沢に送って藩主および武士用とし、一方は江戸へ送って江戸詰め武士の使用に当てた。

金沢市内には、味噌蔵町の名前があるが、藩が軍用に食糧を貯蔵した味噌蔵があったからで、享保年間に刊行された「武家耳底記」には「黄門利常(=前田3代藩主)卿の時、味噌蔵あり、今の奥村市右衛門第地(九人橋下通中間南側)是なり、故にその辺を味噌蔵町といへり」とあって、300年前から味噌屋はあったことが記録に残っている。

ただし、昆布は、北前船が盛んになる1800年代にならないと一般には普及していないし、同じようにかつお節も、江戸の初期には、茹でてから干しただけのもので、旨みのある黴付けの本枯れ節が流通するのも同じ時期だといわれているので、現在のようなお出しとあわせる、美味しい味噌汁が完成するのは、和食が完成したと言われる江戸時代の文化・文政(1804年~1830年)時代に入ってからです。

つまり、まつの作っていた味噌汁には、今のようなお出しは使っていなかった?!
(でも、個人的には、そのころの食べていた味噌汁は、ドラマの中と同じように確かに美味しかったのだろうと思います。なぜなら、今の野菜とは違って、旬の野菜しか取れなかっただろうし、その野菜自体に凝縮した旨さが詰まっていたと考えられるからです。)

利家とまつの頃は、玄米と長期熟成の味噌汁を常食にしていた、大変健康な食事内容だったと推測されます。

これって、スローフードだよねえ。贅沢なんだー、今となったら!

第64回(2002.5.16)「加賀むかしばなし『ゲンザな清水の大杉』」
提供:ホリカワ 花野美貴雄さん


源佐(げんざ)


ホリカワオリジナル 郷土絵本からの昔話。
第5弾は白山地方の昔話です。

「ゲンザな清水(しょうず)の大杉」

 昔々のことでござしゃった。白峯(しらみね)の村さに、源佐(げんざ)ちゅう男がおったとよ。この源佐、山で木を伐ったり、畑さ耕したり、たいそう働きもんでな、その上信心深うて、仕事の行き帰りには白山の神さんに必ずお参りしておった。

 その夜もひと仕事を終え、大好きなお酒さ呑んでぐっすり寝込んでおったところ、突然「源佐、源佐」と呼び起こされたんやと。目を開けると、一人の白髪の老人が立っており、「わしゃ、白山権現(しらやまごんげん)じゃ。おめえの信心の厚さと働きぶりに感心したで、山に清水さ作ってやるだ。おめえが仕事しとる所にある大杉の根っこを明日掘ってみろや」
と言うやスーッとすがたをけしたそうな。源佐は翌朝、白山さ飛んで行き、天にも届くほど大きな杉の根っこのほとりを掘っただ。と、お告げの通り水が湧いてきての、ひと口ずつすくって飲んでみると、なんとまあ、結構なお酒やったと。

源佐は白山権現様に感謝し、ますます信心に仕事に精を出すとともに、この清水は、”ゲンザな清水”と呼ばれるようになったんやが、それからずっと後のことでござしゃった。
ある庄家様が清水の付近を畑にしなさってな、大杉が邪魔やと伐ろうとされたとよ。

ところが、あんまり幹が太いんで半分ほど伐って翌朝行ってみると、伐ったはずのところがいつもいつも元通りになっておる。不思議に思うた庄家様がひと晩中見張っておると、木の葉がさらさらと舞い落ちてきて、切り口をたちまちふさいでしもうたと。

これではラチがあかん。そう思うた庄家様は、人夫を沢山呼んできて、寝ずに大杉を伐らせ、とうとう切り倒しんしゃった。すると、切り口から白い煙とともに女神様が酒徳利を片手にあらわれ、「もうこれでゲンザな清水とお別れじゃ」というや、白山の山頂へ飛び去られたそうな。ゲンザな清水にお酒が出んようになったのはそれからやと。
 

■■白山ミニリンク集■■■■

「白山自然保護センター」
・・・登山道情報やイベント情報、動物・植物の様子がご覧になれます。

白山連邦合衆国
・・・白峰村をはじめ、白山麓1町5村が観光連合体を結成。各地域のイベント情報などが満載です。

白山の様子を動画で。ふるさと石川セミナー「白山-日本の名山-」
・・・平成12年度県民大学校のインターネット放送。動画もダウンロードできます。

第57回(2002.3.28)「金沢むかしばなし『才田のキツネ』」
提供:ホリカワ 花野美貴雄さん


小キツネと権兵衛じっさま

ホリカワオリジナル 郷土絵本からの昔話。
第4弾は金沢市才田町の昔話です。

「才田のキツネ」

 キツネちゅうのは、人さだまして悪さするちゅうけどな、なかには義理の固いキツネもおったげな。
そうそう、才田の御亭山にも昔はキツネが住んどったが、人真似が上手での なかなか愛嬌のあるキツネやったと。

 このキツネにな、ある年可愛い赤ん坊が生まれたと。ところが、その年は山火事などがあっての、山には極端にエサが少なかった。腹さ賺せた親子は、仕方のう山さ下りて田圃のあぜ道をうろうろしとったら、権兵衛じっさまが声をかけてきたと。

「才田のキツネでねえか。しばらく顔を見んと思うたら、子供さできたのけ。ほおう、可愛いの。でも、今年はエサが少のうて大変じゃろう。しばらくわしが預かってやろう。」

このままでは親子とも飢え死にかと思っておったんで、キツネは大喜びで子キツネをじっさまに預けたと。そして毎晩そっとのぞいては、子キツネが権兵衛じっさまに抱かれて眠っとるのを見て安心して帰っていったと。

「権兵衛じっさま、あんやと」

それから何年かたって、権兵衛じっさまの家で法事をするコトになったと。が、お客様に来てもろうても、貧しいじっさまにはお膳がねえ。かといって村の人たちに借りようにも、二十人からのお膳をそろえられるもんはだあれもおらん。法事さやめるべ… じっさまがそう思った晩のこと、トントンと表の戸を叩くもんがある。見ると、才田のキツネが、今は成長した子ギツネと一緒におり、その前には立派なお膳が置いてあったと。

*金沢市才田町・・・金沢市北部、河北潟にほど近い町。

第44回(2001.12.27)「加賀むかしばなし『白さぎ湯』」
提供:ホリカワ 花野美貴雄さん


「白さぎ湯」と呼ばれる山中温泉。その由来は?
ホリカワさんの郷土絵本からの、昔話。
第3弾は加賀山中温泉「白さぎ湯」の名の由来です。

「白さぎ湯」
今から八百年ほど昔のことでな。国を二分した源氏と平氏との争いは源氏の勝利に終わったあと、山中あたりは能登の地頭、長谷部信連が治めることになったと。
アシの中にいたのは怪我をした白さぎだった。
ある日のこと、信連は家来を大勢引き連れて、狩りを楽しんでおった。幸い獲物は上々で、上機嫌の信連と家来達が帰ろうと大聖寺川の川原まで来たときじゃった。あたり一面に生い茂ったアシの間に白い鳥が一羽いるのが目に入ったと。

「だれぞ、あの鳥をつかまえてまいれ」

信連の命令を受けて家来の一人がアシをかきわけて近づいてみると、それは白さぎでな、片足を川につけたまま逃げようともせなんだ。報告を受けた信連は馬から下り、川へ手をつけてみて納得した。想像したとおり、温かかったからじゃ。
「これが世にいう湯治であろう。あの白さぎもけがをして、ああやって治しておるにちがいない。きっとここの湯は病や傷に効くのじゃろう」

信連はすぐさま家来にアシを刈り取らせ、領民がいつでも入れるようにと湯舟をこしらえた。そのときじゃった。「お屋形様」と家来が上流から流れてきた小さな仏像を信連に渡したと。見ると、みごとな出来栄えの薬師如来像じゃった。

この薬師如来像は、さらに五百年ほど前、行基常任が、菅生石辺神社のお告げでこのアシの間に湧き出るお湯を発見されたおり、病気によく効くようにと彫られたものじゃった。そして、国分山医王寺というお堂を建て、おまつりされたのじゃが、源氏と平氏の争いで朽ちはて、あとかたもなくなってしもうたのじゃ。

きっと名のある仏様にちがいない--そう直感した信連は、山の中腹にお堂を建て、ていちょうにおまつりしたと。これが今の薬師山にある国分山医王寺、別名"お薬師さん"でな、病気に霊験あらたかじゃいうて、おまいりの人の列がたえないそうじゃ。

また、山中温泉は白さぎのおかげで再発見されたことから、"白さぎ湯"ともいわれ、ことに女性はここにつかると白さぎのように色が白うなるという話じゃと。


<ホリカワの絵本「加賀金沢の昔ばなし」より>
 

山中町にはしらさぎの名の温泉や、「白鷺大橋」という名の橋があります。
・「しらさぎ大橋」から見降ろす「黒谷橋」と鶴仙渓は美麗との噂。
石川県指定文化財「無限庵」ホームページ。・・・家老横山家が金沢市にあった邸内に建てた書院で、金沢より移築したもの。

第40回(2001.11.29)「金沢むかしばなし『芋掘り藤五郎』」
提供:ホリカワ 花野美貴雄さん


貧乏気ままな藤五郎に、お嫁さん?!


ホリカワさんの郷土絵本からの、昔話。
第2弾は金沢の名の由来にもなった
芋掘り藤五郎のおはなし。

「芋掘り藤五郎」
昔、加賀の国の山科ちゅう村に、藤五郎という若者が住んでおった。親を早く亡くし、山へ行っては山芋を掘って暮らしておったんで、誰いうとなく"芋掘り藤五郎"と呼ばれておった。

 ある日のことじゃった。粗末な藤五郎のあばら屋に、上品な老夫婦と美しい娘が山のような花嫁道具を下人に持たせて訪ねてきてな、こういうて頭を下げたのじゃそうな。
「私は大和の初瀬村に住む生玉方信(いくたまほうしん)と申します。突然ではございますが、どうかこの娘をもろうてくだされ」
 あまりのことで、面食らった顔をしとる藤五郎に、方信はなおもいうたと。

「実は、私どもは村一番の長者ですが、長い間子宝に恵まれませなんだ。で、長谷観音様にお願いして、ようやっと授かったのがこの娘でございます。和子と名付け、そりゃもう大事に育ててまいりました。そして、、日本一の花婿をと再び長谷観音様に願を掛けましたところ、あなた様の名前を告げられたのです。ですから、どうか‥‥‥」

 そういわれても、気ままな貧乏暮らしが気に入っとった藤五郎は、なかなか「うん」とはいわなんだ。が、あまりしつこく頼みこむもんで、仕方なくいっただ。
「おらあ、貧乏が性に合っとるだ。だから、せっかくの荷物も近所の貧しい人たちにあげてしまうつもりなんじゃが、それでもええか」
「むろん、嫁にもろうてもらえれば、あなたさまのもの。ご自由にお使いください」
こうして娘と結婚した藤五郎は、約束通り花嫁道具を近所の人たちに分け与えたあと、相変わらず山へ芋掘りに入ってはその日のくいぶちぶんを稼いでくると、残りは人にあげてしまい、貧乏生活を楽しんでおった。最初は戸惑っておった娘もそのうちに慣れ、藤五郎と同様、貧しい生活を苦にせんようになっただ。

 何ヶ月か過ぎたある日、藤五郎のもとへ大和の方信から、娘が不自由な思いをせんようにと砂金の一杯詰まった袋が送られてきたのじゃ。しかし砂金の値打ちを知らん藤五郎はふと通りかかった田圃に雁が遊んでいるのを見て 捕まえてやろうと手にした砂金袋を投げてしもうたのじゃそうな。
「なんともったいないことをなさる」
その話を聞かされた娘は、あまりの無頓着さにあきれ、砂金がいかに大切であり、貧しい人たちに喜ばれるかをこんこんと藤五郎に説いたんじゃと。と、藤五郎は、「あんなもの、芋掘りに行けばなんぼでもとれるだ」と得意そうにいい、翌朝娘を山へ連れて行っただ。なるほど、山芋を掘ると、根っ子のところに無数の砂金がキラキラと輝いておった。

藤五郎の掘る芋には、無数の砂金が・・・

 それからというもの、二人はせっせと芋を掘っては近くの沢で洗い、砂金を集めたんでたちまち長者になったが、決してひとり占めにはせず貧しい人たちに分け与えたため、暮らしは少しも変わらなんだ。それでも二人は十分に幸せで、人々からは"芋掘り長者"と呼ばれてたいそう敬われたという話じゃ。
 それとじゃな、金沢という地名も、この藤五郎が砂金を洗った沢、つまり"金洗い沢"というんでついたんじゃそうな。兼六園の一角に"金城霊沢"という名の場所が今もあるが、ここがその砂金を洗った沢の跡じゃといわれる。

<「加賀金沢の昔ばなし」より>ホリカワHPにてお買い求めが可能です!
 
註:加賀の国山科・・金沢市山科。ここには国指定天然記念物「大桑層化石産地」があります。
  山芋(葉)・・・群馬大学 青木繁伸教授の「おしゃべりな部屋」より。
            芋は石川県内でも採れます。ごつごつしています。
  長谷観音・・・奈良県桜井市にある長谷寺の通称。
  金城霊沢・・・「金沢市観光協会」ホームページより。
          学問の神様菅原道真を祀った金沢神社の隣、兼六園に湧く霊泉。

お店ばたけホームページ

お店ばたけホームページへ
ISICOバーチャルモール「お店ばたけ」は、(財)石川県産業創出支援機構が運営するインキュベーションモールです。

ネットショップコンテスト北陸2012

2012logo.gifネットショップコンテスト北陸2012 昨年を上回るご応募を戴きました!! 2012年1月20日(金)締切。只今審査期間中です。今回は、注文・予約・見積依頼などのフォーム機能があれば 旅館・ホテル業、製造加工業、サービス業、建設業など物販を伴わないサイトも対象です。

最近のコメント

アーカイブ

ブログを購読する(RSS)

  • RSS2.0を購読する
  • RSS2.0を購読する