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<商い益々繁盛店>民宿 深三(輪島市)

石川県産業創出支援機構(ISICO)では、石川県内で頑張っている繁盛店を取材し、商い益々繁盛店としてご紹介いたします。

石川県の繁盛店をご紹介!
<商い益々繁盛店>民宿 深三(輪島市)

深三

能登空港開港を契機に、関東方面からの観光客の入り込みが増加傾向にある中、能登を代表する観光地・輪島にあって、観光客に人気の民宿として知る人ぞ知る宿、それが深三である。脱サラをして民宿を始めた先代の後を継ぎ、2代目主人として夫婦二人三脚で宿を切り盛りする深見大氏に、接客におけるもてなしの心を披瀝願った。

●先代の病を機に民宿を受け継ぐ
輪島市出身の先代が、東京でのサラリーマン生活を終えて輪島の実家に戻ったところ、蔵の中に代々受け継がれてきた輪島塗の器がたくさんあったことから、この輪島塗をより多くの人に使ってもらいたいと思い民宿を始めたという。深見家の江戸時代からの屋号である『深三』の名前で開業したのが平成4年のこと。息子である大氏は、先代から民宿の面白さを機会あるごとに聞かされてはいたものの、その時点では全く関心がなく、大阪でサラリーマン生活を送っていた。そんな大氏に程なく転機が訪れる。「親父が病に倒れたことで環境も気持ちも一変しました。親父がせっかくここまでにした民宿を残したいと思うようになった。その気持ちをかみさんに打ち明けると、『サラリーマンの奥さんは経験したから、民宿の女将もやってみたい』と、意外なほどあっけなく賛成してくれ、サラリーマンから民宿の主に転身することを決意した」と笑顔で語る。

●輪島の魅力に自らが惚れ込む
客室先代が亡くなるまで実質1年半あまり輪島で一緒に生活したとはいえ、輪島弁も知らず、輪島の食材も知らず、料理もしたことがなかったが、そこは輪島の土地柄に助けられる。「朝市へ行けば、おばちゃんが魚のことや料理の仕方を教えてくれるし、近所の人が冠婚葬祭のことを教えてくれる。とにかくいろんな人が親切に教えてくれ、全てのことが新鮮で楽しく、毎日が本当に面白い。そんな面白さをお客様に伝えられたらベストだと思う。そのためには規模は小さく、お客様と僕ら夫婦が楽しく会話できる宿づくりをモットーにしています」ときっぱり。

●顧客の口コミこそが財産
深見ご夫妻輪島に戻って7年目を迎えるが、広告宣伝は一切せず、旅行会社の斡旋も受けず、あくまでも日々の宿泊客の口コミと地元の人たちの紹介によるお客様のみで成り立ってきている。このことが、バブル崩壊後もお客が絶えない深三の強みにもなっている。「今まで幸せなことにお客様が来なくて苦労したことはないが、働く量はサラリーマン時代とは比べものにならず、早朝から夜中までずっと動きっぱなしで、休みもなく、気が付いたらあっと言う間に7年が過ぎた感じです」と振り返る。テレビドラマや旅番組で能登・輪島が紹介されることも商いにとってプラスになっている。最近では、旅行雑誌だけでなく、大手の新聞・雑誌社のホームページの取材も増えてきているようだ。輪島塗の器で食事できることを楽しみに訪れる観光客も多く、その器を取材に来る出版社もある。古い漆器ならではの奥深い魅力が大きな付加価値になっている。「漆器屋さんがお客様を案内して来られ、100年以上経った漆器で実際に食事してもらうことで、輪島塗の魅力がPRできると好評です」と顔をほころばす。今年は団塊の世代が大量退職する年である。この世代は夫婦で旅行するゆとりとお金を持った新たな顧客層になるが、「敢えてそこに向けてPRすることよりも、今まで来て下さっているお客様に、精一杯のおもてなしをすることで、その方たちが口コミで『深三はいいよ』と宣伝して下さることが一番です。その方が自分たちも安心してお迎えできるわけで、毎日毎日が、喜んでいただけただろうか、満足していただけただろうかと、不安の連続です」と冷静に捉えている。ネット社会の昨今は、mixi(ミクシィー)サイトの口コミの影響力も大きいようで、このサイトを見て予約してくる若いお客様が増えてきているとのこと。

●能登空港の開港で関東圏の顧客が増加
深三の宿泊客は、年間を通して関東圏からが6割強と圧倒的に多く、能登空港の開港効果と言える。客層は50~60歳代の熟年夫婦が多く、そうした年配客から教えられることが多いという。「まだまだこれと言えるようなこだわりもないですが、自分の親と同世代のお客様に日々教えていただきながら今日までやってこれらた感が強く、僕たち夫婦は、未だに観光客の気分で、天気が良いと自転車で町中を散歩し、こんな道もあるんだと新たな発見をしながら輪島暮らしを楽しんでいます」と語るように、旺盛な好奇心が商売にもプラスになっている。

●心の通い合う接客がモットー
浴場「親父の時からのスタイルを崩さず、自らお客様をお迎えすることで、例えばお客様の体格に合わせて料理の量や、焼き物のサイズを変えるといった配慮をし、お客様一人ひとりとのコミュニケーションを密に取れるよう夫婦で努めています。とりわけ顔の見えない電話応対は次につながると考え、お断りせざるを得ない場合は特に気を遣っています。そんな気持ちが通じたのか、中には電話応対が良かったからおたくに決めたと言われるお客様もいて、そんな時は本当に嬉しいですね」と顔を綻ばす。「輪島に来てくれた人に、輪島を好きになってもらいたいし、好きになってくれた人が輪島のことを話すと、それを聞いた人も輪島を好きになってくれます。そんな相乗効果で輪島の魅力を発信していくことができれば・・」と熱っぽく語る。

●輪島の地の食材・調味料・器・料理・酒がもてなし
看板料理に使う野菜や魚はもちろんのこと、宿に飾る花も朝市で買っている。「何と言っても手作りの料理はお客様に伝わるものがあります。輪島の新鮮な食材をなるべく素材を活かし、心を込めて料理しています。調味料も醤油も地のものにこだわり、お酒はもちろん輪島の地酒です。お客様がその料理や、お酒を気に入られ、醤油やお酒や漆器をお土産に買って帰られます。そのおかげで輪島の取引先のお店が、新しいお客様を紹介してくれ、口コミの輪が広がってきています。目に見えない細かな努力の積み重ねが、長い時間をかけて花開くのが商いなのかなぁと、最近思えるようになってきました」としみじみと語る深見氏の姿に人気の秘密を垣間見た思いだ。

■インタビューを終えて
日々実直に接客に取り組むご夫妻の姿は、宿泊客にとって微笑ましく心地よく感じられるに違いない。輪島で我が家に帰ったようなもてなしを受け、満足した人たちが口コミで深三をPRする。その相乗効果・波及効果は輪島ひいては石川県への誘客に大きく貢献するに違いない。

深三外観商 号 民宿 深三
所在地    輪島市河井町4-4
創 業    平成4年

<商い益々繁盛店>オーディオファミリー(金沢市)

石川県産業創出支援機構(ISICO)では、石川県内で頑張っている繁盛店を取材し、商い益々繁盛店としてご紹介いたします。

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<商い益々繁盛店>オーディオファミリー(白山市)

オーディオファミリー

我々が想像するオーディオショップとは趣を異にする、ロフト付き木造平屋の手造りの建物がオーディオファミリーの店舗である。店内に一歩足を踏み入れると、マニア垂涎(すいぜん)のアンプやスピーカーが所狭しと個性を主張し合う独特の雰囲気に包み込まれる。そこはもう「オーディオは使いこなしが大事、使いこなすと愛着が湧き、その経年変化を自らの耳で確かめ経験を重ねてきた」と自負する店主、西本孝一氏の熱い思いが集約された西本ワールドに他ならない。

●意志あるところ道は拓ける
西本孝一代表「好きな仕事に就けたこともあって、売上キャンペーンなどがあるとがむしゃらに頑張った。新入社員ではあったが常に成績は、上位に食い込んでいた」と誇らしげに語る。ところが、気が付くといつしか利益追求に走る会社の経営方針と、自分がこれだと思ったものを顧客に勧めたいと思う西本氏の間の溝が大きくなっていた。「そんな悶々とする日々に嫌気がさし、一度しかない人生だから自分のやり方がどこまで世間に通用するのか、自分の能力を試したいと思った。とはいえお金がないから店舗を借りることもできず、まずは自宅の6畳一間を店に、自分のやり方で商売になるのか挑戦すべく独立した」と振り返る。当時は法律的な知識も無く、勤めていた店の顧客リストを写して退社したことから、独立当初より会社側から各メーカーに圧力をかけられ、商品流通がストップし、注文しても商品を入れてもらえない現実に直面する。二十歳そこそこだった西本氏は、会社の看板の力を思い知らされる。そんな限られた条件下で顧客の満足度をいかに高めるか、試行錯誤の日々が始まったのだが、「今思えば、あの時の苦労があったおかげで今日の自分があるだけに、むしろ苦労させてもらえたことに感謝している」としみじみと語る。壁を乗り越えた達成感は西本氏の人生にとってかけがえのない財産となった。

● 自分にとっての二つの課題
オーディオ「勤めていた当時、責任者から『西本君は、お客様のためと言いながら、自分の売りたいモノを上手く売っているだけだろう』と言われ、休みの日には機材を持ち帰り、組み合わせの相性を自分なりに勉強し、その経験をベースにお客さんが納得する商品を勧め商いが成立していると反論したところ、『それじゃ君は全ての商品を知っているのか』と詰問された。当時、まだまだ自分の経験範囲は限定されていたし、全ての商品を知ることなど不可能で、そのことが自分にとっての宿題になっていた。もう一つは、メーカーとの取引が始まる前に興信所の調査があり、その所長さんが6畳一間の私の店にやってきて、一通りの質問をされ30分ぐらいで終了した。その後、プライベートに音楽を楽しまれ、いろいろと仕事に関する質問をされた。帰り際に『君は重い荷物を背負って綱渡りするような人生をやっていくよ。山に例えると、山頂を縦走するような厳しい生き方を選んでいる。いつか想いが実現できるかもしれないが、最後は肩に背負ったお客さんが重くなりすぎて、多分ダメになるよ』と言われた。つまり、お客さんが増えすぎて自分一人の手に負えなくなること。この二つのことが常に胸につかえていた」と明かす。

●原理原則と人財育成で壁を克服
その壁を何とか克服しなければと思い悩んでいたところ、ある時期、それを両方ともクリアできる答えを見つける。「それは原理原則論です。すなわち、全てのスピーカーを知る必要はない。スピーカーの原理はこう、アンプの原理はこう、アナログプレイヤーはこう、CDプレイヤーはこうといったそれぞれの原理さえ押さえれば、あとは音楽の感動を得るためにその原理を使って遊ぶ。このことによって全ての商品を知る必要はないことに気付いたのです。」もう一つの重い荷物を背負った部分については、「私の得たノウハウをユーザーに教えることで、一人ひとりのお客様が私のように自分で自分のことができる人になればいい。つまりオーディオファミリーのユーザーを育てること。個人商店でも大企業でも同じことで、自分の信念を貫くためには、人財の育成しかないことに追いつめられた状況で気付かされた」としみじみと語る。

●目的と手段を取り違えてはいけない
多くのオーディオが並ぶ店内私は手段としてのオーディオ機材を販売していますが、目的はあくまでもその手段を通して音楽の感動を得ること、これがオーディオの楽しみです。ところが、今の世の中は手段と目的を取り違えていることがものすごく多いように思う」と西本氏は嘆く。自分の空間で音楽の感動を得るための道具として様々な手段が必要で、その時々に相応しい方法論が成り立つわけだ。「ただ、この手段を目的化してしまうと、手段の優劣が価値観になって本末転倒になる」と力説する。そのことに気付いた経緯を尋ねると、「若い時に友人と能登に魚釣りに出かけ、最先端の道具自慢をしながら防波堤で釣り糸を垂れて語り合っていたが、肝心の黒鯛が全く釣れなかった。ところが、明け方になって近所のお年寄りが竹竿に太い糸と大きい針を付けただけの釣り堀で使うような竿を持ってきて、あっと言う間に黒鯛を釣り上げる姿を目の当たりにした。その驚きとショックは今も鮮明に覚えている。その瞬間、自分が目的と手段を取り違えていることに気付かされ、この時から経験主義になり、経験しないと他人様に勧められないことから、いろんな機材を経験し、授業料も払った。例えば同じ機材の組み合わせであっても、部屋によって音が違う基本中の基本も学んだ」と回想する。

●商いの第一歩は自分を売る
「初めて来店されたお客様は、わざわざ分かりにくい私の店を探して来られるわけですから、それなりの情熱と好奇心を持っています。従って、その日は自分のポリシーを知ってもらうことに時間を費やし、決して商売の話はしません。と同時に、お客様に基本的なノウハウをお教えします。それは左右のスピーカーから同じ音が出ているかどうか、直接音と部屋の反射音のバランスを揃えることがとても難しく、そうしたノウハウをまずお教えします。そして商品を売る前にお客様の部屋を必ず見に行きます」という徹底ぶりで、商品を売る前に自分を売る、商いの原点を実践している。

●顧客本位の商いに徹す
オーディオメジャーにならなくても、みんなに知られなくても、縁があって出会った人たちと共に楽しい人生を歩んでいきたい。そんな西本氏の心意気に共鳴した顧客たちが、機材や労力を提供し、家族も総出で板を削り煉瓦を積んで作り上げた手作りの店が何よりの自慢であり、西本氏の勲章でもある。「建築会社に任せればお金がかかります。そのお金はお客様からの利益であり、自らが動くことで経費を減らせば、その分をオーディオに投資でき、結果としてお客様に還元できるからです」と、常に顧客本位に物事を考え、行動する姿は学ぶところが多い。「私がノウハウを教えてきたユーザーの中にいい音を鳴らす人たちが増えてきている」と嬉しそうに語る笑顔の向こう側に、文字通り音を楽しむことが好きでたまらない、オーディオファミリーを支える面々の顔が見えてくるようにさえ感じられた。

■インタビューを終えて
「6畳一間でスタートした当時に思い描いた青写真をほぼ実現できただけでなく、長男が私の人生哲学を仕事や友人関係に活かしている姿勢が嬉しい」と満面の笑みで語る。熱烈なファンに支えられ、創業30周年。西本氏の音へのこだわりに共鳴するオーディオファミリーの輪は益々広がっていくに違いない。

オーディオファミリー外観商 号 オーディオファミリー
所在地    白山市宮永町229番地
創 業    昭和52年

<商い益々繁盛店>KOKON(金沢市)

石川県産業創出支援機構(ISICO)では、石川県内で頑張っている繁盛店を取材し、商い益々繁盛店としてご紹介いたします。

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<商い益々繁盛店>KOKON(金沢市)


ココン こだわりのオリジナルブランド靴が顧客の心を掴む

平成に入った頃から、個性的なショップが点在するようになった金沢・新竪町通り商店街。その中程に、こだわりのオーダーメイド靴を専門に扱うショップ「KOKON」がある。長く愛用できるオリジナルブランド靴を看板商品に、開店から10年あまりで、オーダーメイド靴の世界では知る人ぞ知るショップとしての地位を確立した小紺浩良社長に、商いのこだわりを披瀝願った。

●本物の靴を商うことに目覚める
学生時代からリーガルに代表されるトラディショナルなファッションに興味があった小紺氏は、たまたま友人から竪町でリーガルの靴を扱っている店がスタッフを募集しているとの情報を得て、勤め始めたのがこの世界に入ったきっかけである。「その時点では、具体的に将来の計画を持っていたわけではなく、接客業に携わる人間として、お客様から信頼され、それに応えられる仕事をしたいと漠然と思っていた」と振り返る。就職した店が、リーガルを始めとしたこだわりの靴を扱い、顧客も一家言ある人が多かったことから、長いスパンで靴を大切に愛用する顧客との交流が増えていった。世の中が使い捨ての靴にシフトしていく時代にあって、自らはその考え方に馴染めず、本物を長く大切に履いてもらう、そんな商いをしたいと思うようになる。

●納得できる商品で自信の持てる商いを
小紺浩良代表13年あまりの靴店勤務を経験し、「やはり自分は本物を愛する顧客に本物の靴を提供する店を持ちたい」と独立を決意する。独立に向けて信用金庫から資金融資を受ける。「その頃の新竪町は人通りも少なく、商売をして大丈夫なのかとの声もあったものの、当時の支店長さんが『新竪町はこれから伸びていく街だから応援したい』と言って下さり、資金のめどが立った」と述懐する。当初の品揃えは、アメリカのアレンエドモンズ(39,000円~)とその取扱商社がオリジナル展開していた靴(20,000円~)、アンビィオリックス社のエンバシー(29,000円~)の3ブランドを中心に、まだまだ少ない品揃えではあったが、商品に自信の持てる商いがスタートしたのである。「エンバシーは6足からオーダーできたため、注文が1足しかなくても、あと5足は自分で売る覚悟で店頭に並べました。どういう靴が本当に良い靴なのか、自分自身が現場に置いて、買ってもらい、履いてもらって、どうだったのか、それをお客様と共に日々勉強してきました」と熱っぽく語る。

●オリジナルブランド「KOKON」誕生
KOKONハンドメイド靴開店して3年余り経った頃、一流ブランドの靴メーカーでもリストラが断行され、希望退職した若手社員が工場とのつながりを活用し、オリジナルブランドの靴を作らないかと持ちかけてきた。小紺氏にすれば、願ってもない話であったが、その一方で、本当に納得できる靴ができるだろうか、信用し切って大丈夫だろうか等々、さまざまな不安が過ぎり、どうしたものかと自問自答する葛藤の日々が続いたという。時間をかけて熟慮を重ねた結果、このチャンスに賭けてみようと心が決まり、自社ブランドの在庫を持って商売する道を選択する。出来上がってきた靴をお得意様に実際に履き、様々な観点から問題点や改良すべき点をアドバイスしてもらい、その意見を正確に工場にフィードバックし、適時必要な改良を加えるという地道な努力を積み重ねた結果、ようやく納得できるKOKONブランドの靴を完成させることができた。「お客様が履いてみて満足していただけるかどうか、それが心配なのです。お客様を満足させられる商品を用意できないことほど、商売人として情けないことはないわけで、満足していただけるかどうかが僕の勝負なのです。」と重みのある言葉が返ってきた。

●原料の革から買い付け、徹底したこだわりを貫く
「私は自分で革を買い付けして工場や職人に発注しているので、工場や職人サイドに負担がないのです。革には良いところと悪いところがあります。KOKONの場合は、悪い部分の革は見本用の靴に使用したり、廉価で販売する物のみに使用するなど、革の品質管理を徹底しています。」と自信を伺わせる。材料となる革を買い付けることはかなりの負担となるが、それをすることで、お客様からすれば、ここへ来ればちゃんとしたものがあるという信頼にもつながっている。と同時に、そうでないと小紺氏も自信を持って顧客に商品を勧められないのだ。「工場にしても職人にしても私が学ぶことの方が多いのですが、私はこのお客様がこういう靴を求めているから、そのためになんとかこうできないかと伝えていく役割を担っているわけで、私と職人がツーカーの仲になればなるほど、お客さんにとって一番理想的な靴づくりができるのです」と楽しそうに語る。

●顧客の心を掴む接客に腐心
店内「お客様の痒いところに手が届くというよりも、さらに先回りして『あっ』と思わせる接客。あそこへ行ったらもう他へは行けないなぁと思っていただける接客が目標です。そんなスタッフを育てて、KOKONの輪を広げていくことができれば、あそこへ行けば間違いないし、何年も履けるから長い目でみたら決して高くないよと言っていただける存在になりたい。そんな大人の居場所のようなショップを目指し、靴や皮製品の世界における真の製造小売のプロでありたいですね」と顔を綻ばす。「お得意様の息子さんが大学に入る年齢になり、お客様であるお父さんが息子さんに3万円の靴を買ってプレゼントする姿を見ていて、これまでお世話になってきたお客様に少しでも恩返しができればと思い、学割制度を設けて19,800円の特別価格で提供しています。その息子さんが実際に履いてみて満足すれば、次は自分で購入するお客様になっていただけるわけで、そんな親子2代のファンが増えてくれればと願っています」と、商いの王道である損して得取るを実践している。

●夢の実現に向けひたすら精進
小物が並ぶ店内「製造・小売は職人の仕事が半分入っているだけに、これでいいということはなく、試行錯誤を繰り返し、納得のいくものを作るには10年はかかります。それでも、これだという靴ができれば、それで10年は商いができるわけで、まだまだ先は長いです。製造・小売をやっているおかげで、お客様から直接クレームをいただけることで、今日まで成長してくることができたと思っています。」と顧客と職人に対する感謝を忘れない。将来的には、KOKONブランドをフランチャイズまたは直営店の形で、店舗展開する夢を描いており、「自分のポリシーをお客様に正確に伝える接客と商品の魅力をアピールできる店づくりが実現できれば・・」との但し書き付きではあるが、東京・大阪・名古屋などに出店する日を思い描きながら、今日も靴と対話する小紺社長である。

■インタビューを終えて
文字通りゼロからスタートしたオーダー靴専門店を、持ち前のチャレンジ精神とチャンスを掴み取る運を味方に付け、並々ならぬ努力を積み重ねてきた結果が今日のKOKONであり、オリジナルブランドを成功させることの至難さを垣間見た思いだ。


KOKON靴商 号 KOKON
所在地    金沢市新竪町3-36
創 業    1995年
年 商 3,000万円
社員数 2人(うちパート1人)
HP http://www.kokon.sakura.ne.jp

<商い益々繁盛店>メルヘン日進堂(珠洲市)

石川県産業創出支援機構(ISICO)では、石川県内で頑張っている繁盛店を取材し、商い益々繁盛店としてご紹介いたします。

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<商い益々繁盛店>メルヘン日進堂(珠洲市)


メルヘン日進堂 お菓子に夢と真心をこめて珠洲から全国へ

能登から全国へ、『おとぎの国メルヘン』の店名にて楽天市場に出店し、全国に自慢のバームクーヘンを発信。わずか2年の間に、楽天市場の銘柄別売上ランキング1位を何度も獲得している実力ショップが、珠洲市に本店を構えるメルヘン日進堂である。地方の菓子店がネットを活用することで、全国展開を現実のものとした日野知明社長にお話を伺った。

●3代目として洋菓子分野を開拓
日野知明社長創業から間もなく100年を迎えようとする老舗である。初代が大正2年に和菓子店を創業し、二代目となる先代が後を継いだものの、知明氏が高校1年の時に急逝する。高校を卒業すると、『これからは洋菓子の時代が来る』と直感し、東京の有名洋菓子店に修業に旅立つ。そこでたまたまバームクーヘンの製造に携わったことが、今日の原点である。最低5年は修業を続けるつもりでいたが、祖父を手伝っていた職人が辞めることになり、修業を始めて2年あまり経った昭和42年、故郷の珠洲に戻ることとなる。祖父は従来からの和菓子を担当し、日野社長は身につけてきたバームクーヘンを中心に洋菓子の製造を担当する二人三脚の商いがスタートする。「その当時はバームクーヘンといってもほとんど知名度がなく、なかなか売れませんでしたから、祖父の和菓子作りを手伝いながらいろんなケーキを並行して作り、商品のバリエーションを独学で少しずつ増やしていきました。本格的にバームクーヘンが売れるようになるまでには10年近くかかりましたかねぇ」と苦笑する。「40年代は、松本清張の『ゼロの焦点』で火が点いた能登観光ブームで、観光バスが到着すると昔ながらのいも菓子が飛ぶように売れた時代で、洋菓子よりもいも菓子づくりに精を出していましたよ」と述懐する。独学で洋菓子の勉強を続け、10年あまりの歳月をかけて、見事、洋菓子の技能検定1級に合格している。

●インターネットが新たな市場を開拓
祖父と二人だけで2年あまり頑張り、その後は徐々に職人を増やし最盛期には15人あまりを抱えるまでになった。ところが、バブルが崩壊し、売上が思うように伸びなくなったため、それまで構えていた支店を閉鎖し、本店1店舗主義、やむなく社員も10人に。支店を閉めたことで売上が落ちる分をインターネットで補うことを考え、日野社長自らが担当し2年前に楽天市場に出店。今では月最高430万円を売り上げるまでに成長している。「出店した当初、バームクーヘンの部門に出店している店がほとんどなかったことも幸いし、早い者勝ちで知名度を上げることができ、そのおかげで週間MVPも獲得できたと思っています」と謙虚に語る。今ではかなりの同業者が参入してきており、出店したタイミングも同店に味方したと言える。現在のネットを通じての顧客は、2万5千人を数えるまでになっている。「将来的には、これを5~6万人に拡大し、安定した得意先にしていきたいと考えています。店頭での売上は人口減少に歯止めがかからないこのご時世では、あまり期待できませんから」とは言うものの、「楽天市場で売れていることが話題になり、テレビや雑誌等にも取り上げられることが多くなり、相乗効果で来店されるお客様や、新しいビジネスにつながりました。帰省時期は、土日になると金沢からわざわざ買いに来られるお客様もおいでます」と人気のほどをうかがわせる。

●無添加にこだわる
バウムクーヘン「味に関してはどんな有名店にも負けない自信があります。防腐剤や人工的なものは一切加えず、素材そのものの味を大切にした無添加が売りです。バームクーヘンの場合は何回も焼いて形成するため、無添加でも2週間は日持ちします。」現在、10種類あまりある各種のバームクーヘンは、ネットショップを専門店化する意味合いから、健康志向のごまや抹茶、チーズ、チョコレート、虹色バームクーヘンなど次々と商品開発したもの。「店頭では、せいぜい1,000円から2,000円のバームクーヘンが売れ筋ですが、ネットでは5,000円や10,000円のウェディングケーキのように重ねたものが売れるのには驚きました」と、作った本人も舌を巻く。そうした高額商品は、パーティーや結婚式の二次会などで使われ、中にはその様子を写真で撮って送って来るお客様もいるという。「バームクーヘンの本場・神戸のお客様から『神戸のバームクーヘンより美味しい』と言われた時は本当に嬉しかった」と顔を綻ばす。

●ユニークなオリジナル商品が人気
珠洲焼の里同じバームクーヘンでも地域の特色を出したいと、アイデアマンの社長は日々地元に根ざした新商品開発に取り組んできている。その一環として、珠洲焼の壺の形をしたバームクーヘンや、地元の須須(すず)神社に伝わる源義経ゆかりの笛にちなんだ菓子『義経の笛 蝉折(せみおれ)』など、ユニークな商品が店頭に所狭しと並べられている。この『義経の笛 蝉折』は、その地域性と独創性が高く評価され、2005年度優良ふるさと食品コンクール国産農林産品利用部門において(財)食品産業センター会長賞を、2006年度には石川県の優良観光土産品コンクールにおいて知事賞を受賞している。 

●地産地消・安心・安全をモットーに
美味しそうなお菓子が並ぶショーケース「珠洲では大納言あずきが生産されているにもかかわらず、全て県外へ出て行っているのが現状で、この素晴らしい地元の食材を是非使ってみたい」と意欲的だ。とはいえ、バームクーヘンの中にあずきの粒を入れることは難しいため、例えば四角く焼いたバームクーヘンに入れてみたらどうかといった具合に、いろいろ試行錯誤を重ねているところである。何よりもその心の底では、自分を育ててくれた珠洲の土地への愛着、そして祖父と父の思い入れがいっぱい詰まった菓子の商いに携われる喜びを噛みしめている。地の食材を使い、地元に根ざした物語性のある商品開発を、自らの智恵と技で創り出し、一人でも多く顧客に提供することに何よりも喜びを感じる。そして、家族・従業員が一丸となって、顧客が満足する菓子づくりに邁進している姿が印象的だ。「ネットショップがようやく軌道に乗ってきて、県内外の有名百貨店等からも声がかかるようになり、忙しい日々を送っています。とはいえ、自分の能力を超えるような背伸びはせずに、着実に一歩一歩階段を昇っていきたい」とバイタリティー溢れる日野社長である。

■インタビューを終えて
インターネット販売のメリットを最大限に活用し、順調に業績を伸ばしている典型例と言える。一回限りではなく、リピート率の高さが、同社のバームクーヘンの美味しさを証明している。行き着くところ実店舗でもバーチャル店舗でも、美味しくなければ売れないのである。
メルヘン日進堂 外観商 号 (株)メルヘン日進堂
所在地    珠洲市上戸町北方い-49-1
創 業    大正2年
資本金 1,000万円
社員数 11名(うちパート3名)
Webショップ おとぎの国メルヘン

<商い益々繁盛店>中山薬局(七尾市)

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<商い益々繁盛店>中山薬局(七尾市)


中山薬局 地域に根ざした商いに徹し、七尾で三代
ドラッグストアの台頭で、いわゆる町のくすり屋さんとして昔から商いをしてきている薬局は、厳しい環境下にさらされている。そんな時流の中にあって、薬と化粧品の販売を柱に七尾市内で4店舗を展開している元気印の薬局が、赤い欄干の仙対橋たもとに本店(七尾市生駒町)を構える中山薬局である。その元気の鍵を握る地域密着戦略を橋本淑子副社長と秀隆専務に伺った。

●中山薬局のあゆみ
中山薬局の親子三代そもそも明治39年に七尾市一本杉で、中山忠夫氏(故人)が創業した薬局・中山大正堂が原点である。中山氏に後継者がいなかったことから、昭和18年に管理薬剤師として勤務していた橋本君子さん(現社長・橋本秀和氏の母)と力男氏夫妻がその薬局を引き継ぎ、そこで10年商いをした後、現本店のある生駒町に移転し中山薬局として再スタート。当時は、小売だけでなく、七尾・鹿島地区の医院向け卸も行っていた。その後、医院向け卸は医薬問屋に譲渡し、小売に専念。昭和44年に秀和氏と淑子氏(副社長)が結婚し事業を継承。現在は長男秀隆氏も加わり、4店舗を切り盛りしている。中山薬局なのに社長一家が橋本姓なのはそういう経緯があったのだ。そして今年、七尾駅前の再開発事業でミナ・クルがオープンし、そのテナントとしてミナ・クル中山薬局と化粧品専門店レッスンハウスアップルをオープンしたばかり。中山大正堂の創業から数えると100年を迎える七尾を代表する老舗の一軒でもある。

●商いを通して顧客に「健康貯金」を推奨
地域に根ざした薬局として、美と健康をテーマに、病気になってからお金がかかるよりも、病気にならないように「健康貯金」をしてもらいたいとの考えのもと、いつまでも心身ともに健康であるように、いつまでも化粧をすることで見た目も綺麗に、心も綺麗になれるように、美と健康を通して顧客の人生がより豊かになるようにと、常に顧客の立場に立った経営方針を貫いてきている。そのため、医薬品も化粧品も一流メーカーの商品だけを扱ってきているが、ドラッグストアの台頭で、そうしたブランド品が安売りされる時代になり、厳しい状況を余儀なくされた時期もあったようだ。「現在のように情報が氾濫し、情報がありすぎることで、お客様は自分に本当に合うものが分からなくなっています。そうした方々にまず自分の肌を知ってもらうことから始めるべく、一人ひとりに相応しい洗顔の仕方や、化粧の仕方を対面でアドバイスすることをかなり以前から行っています」と淑子副社長。ある意味、化粧品を販売する店として当たり前のことなのだが、この当たり前のことを当たり前に実践してきたことが、顧客の信頼を獲得し、顧客満足度の向上にもつながってきている。食べることやおしゃれの話は、誰でも幸せになれる関心の高い話題だけに、お客様とのコミュニケーションを深めているようだ。そうして、顧客と共に店も従業員も年を重ね、時間をかけて積み重ねてきた信頼関係の下で生涯に渡るつながりができていることが、中山薬局の最大の強みと言える。

●『商品』を売る前に『満足』を売る
顔のエステコーナーかなり以前から、化粧品購入の有無にかかわらず、顔のマッサージやパックを求める声に応える形で始めたのが、現在の顔のエステの始まりである。基本は、顔の汚れを取り、マッサージをし、パックをし、簡単なメイクを仕上げて1000円のコース。その上の3000円のコースは、吸引などが増えるため、1時間半程度の時間を要する。手間がかかる作業だが、あくまでもこれはサービスの一環と捉え低料金で実施している。予約制で限られた人数しか対応できないため、お断りするケースもあるほどの人気のサービスとして定着しているものの、「これはあくまでも美しくなる良さ、楽しさを知ってもらうきっかけづくりであり、これを商売にするつもりはなく、うちの店のファンになっていただく顧客満足を提供するサービスに過ぎません」と秀隆専務は強調する。

●美と健康は女性にとって永遠のテーマ
毛穴洗顔のアドバイス女性はいくつになっても綺麗になること、おしゃれをすること、若々しく健康でいたいと思うニーズは変わらない。「日々の接客において、お客様の悩みやニーズをいかにして汲み取るか、そのためにはお客様が当店の従業員を信頼できて初めて得られる情報であり、信頼される人材を育て、気軽に来ていただける店づくりをしていくこと。薬のことや化粧品で悩んだ時に、中山薬局に行って相談してみようと思っていただけることが何よりの幸せです。内面も外面もトータルでお客様の美と健康をサポートしていくこと、それにはお客様に心を開いていただくことが大切であると同時に、様々な要望にお応えできるようにこちらも日々勉強していかなければなりません」と自らに言い聞かせるように専務は語る。「対面販売を目指した以上は、そこが難しさである反面、ぴったり来たときは最高の喜びにもなるわけで、その時代、時代に合わせて臨機応変に対応していくことで、お客様の人生の一助となるお手伝いができ、現代社会につきものであるストレスを少しでも緩和できる癒しの空間として、ささやかな幸せを提供できればと思っています」と副社長は付言する。 

●あくまでも地域密着を貫く
健康に関するビデオを見るお年寄り『七尾に根ざし、七尾のお客様に少しでも綺麗に、健康になっていただくこと』が橋本社長の経営哲学であり、七尾市内に4店舗を集中展開することで、地域密着に徹する考えだ。離れた所に出店しても力が分散して顧客に満足してもらえるサービスが提供できないことが目に見えているからだ。
(1)お客様の健康と美のよき相談相手として精進いたします。
(2)お客様にとって一番効き目のあるお薬、化粧品をおすすめします。
(3)いつまでも若々しく、健康で楽しい人生のアドバイスを心がけます。
以上の3点を経営のモットーとして掲げる中山薬局。これからも七尾の地域にとって、なくてはならない美と健康のパートナーとして、親子三代の活躍に大いに期待したい。

■インタビューを終えて
化粧品を売ることを目的に顔のエステを始めたのではなく、あくまでも顧客サービスの一環として位置づけ、今日まで取り組んできたことが、ここへきて大きく花開き、根強いファン客獲得に結びついている。すなわち損して得とる。これこそ商いの真髄に他ならない。
中山薬局ミナクル店外観商 号 (合)中山薬局
所在地    七尾市生駒町6-1
創 業    明治39年

社員数 20名
支店 東部店、パトリア店、ミナクル店

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