商い益々繁盛店の最近のブログ記事

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<商い益々繁盛店>(株)高澤商店(七尾市)

石川県産業創出支援機構(ISICO)では、石川県内で頑張っている繁盛店を取材し、商い益々繁盛店としてご紹介いたします。

石川県の繁盛店をご紹介!<商い益々繁盛店>
<商い益々繁盛店>(株)高澤商店(七尾市)


高澤ろうそく店 日本の伝統文化を守り、受け継ぎ、後世へ

時代の変化がめまぐるしい中にあって、明治25年の創業以来、七尾市に店舗を構え、和ろうそく一筋に商いを続けているのが高澤ろうそく店である。今も昔も仏事用途の需要が大部分を占めるものの、現代の生活様式にもマッチする和ろうそくの新商品・新用途開発、インターネット通販を手がけるなど、温故知新の精神を日々の商いを通して実践する四代目・高澤良英社長にお話を伺った。

●和ろうそくの現況
和ろうそくの炎和ろうそくの製造は、山形県・福島県・新潟県・富山県・石川県・福井県・滋賀県・京都府・名古屋市において、現在も20社あまりが商いをしている。どの地域も信仰心の厚い地域で、仏事需要が商いの大部分を占める。高澤ろうそく店は、各地にある仏事問屋に商品を卸し、そこを通して小売店やお寺に販売している。小売は一本杉町にある本店のみで行っている。和ろうそくの需要は、北陸においては時代の変化にさほど左右されることなく、コンスタントに推移しているという。同店では15名の職人がろうそく作りに携わっており、ベテランから20代の若手まで、バランスよく世代間の引き継ぎがなされている。時代が変わったとはいうものの、日々仏壇にお参りする信仰心の厚い北陸の人たちにとって和ろうそくは必需品なのだ。昔はろうそくと言えば、あえて和と付けなくても和ろうそくのことだったが、最近では洋ろうそく(キャンドル)と区別するために和ろうそくと呼ぶようになり、家庭の仏壇で使うものとお寺で使う大型の仏事用とに大別される。

●和ろうそくの歴史
高澤良英社長歴史を紐解くと、江戸時代に加賀藩において最初に蝋燭座が設けられ、七尾には1650年頃に蝋燭座ができたという。高澤ろうそく店が創業した明治時代には、県内各地にろうそくを商う店がかなりたくさんあったようだ。仏事もさることながら、部屋の中の明かりとしても使われていたことから、需要も多かった。蝋の原料となるハゼの木は九州や四国地方に生育するため、ハゼから採取された木蝋(もくろう)が北前船の海上ルートで七尾港にも陸揚げされ、かつてはお寺の門前にある商店街の中に必ず一軒はろうそくを生業とする店があったもの。和ろうそくとキャンドルでは原料も芯材も異なる。和ろうそくの原料は植物のハゼの木から採れる木蝋を使い、芯は和紙をベースにして、その上に灯芯(畳表になるいぐさの芯)を巻き付け、その巻いた灯芯が弾けないように真綿で何重にも巻いていく。このように、全て植物から作られ、芯が太いため炎が大きく安定して燃えるという特徴がある。一方、キャンドルは石油から採れるパラフィンが原料で、芯も細いため炎が細く小さいのが特徴である。

●新しい市場の開拓が鍵
「新しい市場を開拓していくのは大変なこと」と高澤氏は語る。仏事の需要は安定的にあるものの、仏事以外の場でいかに使ってもらうか、このテーマで試行錯誤を繰り返しているのが実情のようだ。基本的な部分は変えずに、表面のデザインや色に工夫をした加飾を施すことで、様々なTPOで使ってもらえる商品開発に取り組んでいる。そうした商品の一例として、地元の伝統工芸である九谷焼の若手作家とのコラボレーションによる九谷焼の燭台や、鉄のアーティストとのコラボレーションによるユニークな形の鉄の燭台などを既に展開している。こうした商品は、試作品ができると本店2階のスペースで作品展を開催し、顧客の反応を見ながら商品化されている。「作り手が楽しく作ってもらわないと、お客さんも楽しくないですからね」とモノづくりの持論を披瀝。

●一本杉の魅力は個店のパワーが源
2Fの多目的スペース平成に入った頃、イベント的な一過性の売り出しを行っていても商店街の活性化にはつながらないとの考えから、アートを街づくりに採り入れるべく、外暖簾を各店に掲げることを試みたのが、一連の一本杉通り商店街の街づくり活動の出発点である。各店の暖簾のデザインを県内の10人あまりのデザイナーに依頼したものの、「暖簾を掲げるには自らの商いに対するポリシーがしっかりしていないと暖簾も掲げられないことから、毎晩のようにデザイナーたちと議論を重ね、自らの商いを原点から見つめ直す好機になりました」と述懐する。それに続いて国際石彫シンポジウムを3年間開催し、一本杉に国内だけでなく海外からも作家が集い、一本杉を活動の拠点に石の彫刻作りに取り組み、商店街の各店の前にその作品が並べられている。そうした作家たちと交流しながら街づくりについて語り合った日々が商店街にとって大きな財産となっている。一過性のものではなく、時間をかけて街づくりに取り組んできた成果が今日の一本杉通り商店街の元気の源になっているのだ。一本杉通り商店街を暖簾とアートの街にしていこうとの方向性を打ち出し、その活動を通して外部のデザイナーや雑誌編集者、カメラマンといった人たちとの人脈の輪が広がり、商店街の各店の二階に集まって、近所の奥さん方の手料理を肴に懇親を深めながら街づくりを語り合う日々が多くなり、そうした中から花嫁暖簾を各店に掲げることや、商店街にある5軒の歴史ある建物を登録有形文化財にすることなども、これまでの人脈のおかげで実現したという。そのような時間をかけた歩みを経て、一本杉通りは元気な商店街として全国に名を馳せるまでになったのである。

●これからの商い
華やかな模様のろうそく新しい時代に向けた販路開拓の一環として、昨年と今年、パリで開催された国際見本市『メゾン・エ・オブジェ』に和ろうそくを出展し、現地での評価を探った。「バイヤーから色や形がおもしろいとの反応があり、すぐに商談にはならないものの、海外でも和の伝統に対する関心を持ってもらえることは実感できた」と手応えを感じている。他にない稀少な伝統商品である和ろうそくは、ネット通販で魅力を発信できる商品価値が高いものであることから、インターネットを活用した販路拡大なども今後の商いにおいて重要な課題の一つとなるのではないか。既に、同店もホームページを開設してろうそくの通販をスタートしているが、さらに工夫を加えることで新たな展開が開けるものと思われる。伝統産業において、事業を後継する人材を育てることが経営者にとって一番重要な仕事である。その意味では、幸いにして高澤社長のご子息が五代目として後継すべく修業中の身であることは喜ばしい限りである。「時代がどう変化してもろうそくを中心にこれからも商いを続けていくことに変わりはありません」とこの道一筋を強調する。

■インタビューを終えて

和ろうそくの太くて大きな揺らぎを静かに眺めていると心安らかな思いになる。そんな癒しの効能もある和ろうそくを、ストレスの多い現代の日常生活に採り入れてみるのも新たな用途のように感じられた。 高沢ろうそく店 外観

商 号 (株)高澤商店
所在地    七尾市一本杉町11
創 業    明治25年

資本金 1000万円
年 商 3億円
社員数 23名
Webショップ ろうそく屋 浅次郎


 

<商い益々繁盛店>(株)アミング(金沢市)

石川県産業創出支援機構(ISICO)では、石川県内で頑張っている繁盛店を取材し、商い益々繁盛店としてご紹介いたします。

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<商い益々繁盛店>(株)アミング(金沢市)


アミング 当たり前のことを当たり前にこなすプロ集団


金沢で女性に人気の雑貨店「アミング」の1号店が開店したのは昭和59年。雑貨店は街の中心部でしか商売にならないと思われていた時代に、あえて駐車スペースを確保した郊外型の店舗を出店。同業者や問屋からの疑問の声はどこ吹く風、「もし自分がお客だったら・・何が欲しいか、どんな接客をしてもらいたいか」そんな視点に立った品揃え・接客でファンを獲得。今では北陸4県に12店舗を構えるリーディングカンパニーに。西江整社長、西江あきよ専務にアミングスピリットを伺った。


● アミングの生い立ち

西江社長の実家は漁網の製造販売会社を営んでいる。200海里規制以降、漁網市場の縮小を予見し、海だけでなく、ゴルフ練習場のネットや工事現場の安全ネットなど陸の網も手がけるべく別会社・扇商事株式会社を設立する。その際、他社に勤務していた長男の整氏が呼び戻され、「若い感性で好きなことをやってみろと父から言われ、事業を手伝うことになった」という。西江氏29歳の時。早速、金沢市北安江のファミリーレストラン隣接地に会社が所有していた建物に事務所を構えた。空きスペースがかなりあったので、そこを活用して何か商売ができないかという発想から、「本当に何となく雑貨屋をやってみようということになり、網(アミ)が陸に上がって歩き出した、アミ+ingでアミングという店名でスタートしたのです」と当時を振り返る。その頃から、あきよ専務もアルバイトとして関わっていた。もちろん二人ともこの世界では素人であった。


●郊外型店舗の先駆者

西江整社長(左)と西江あきよ専務どんな商売を始めるかもさることながら、当時二人が考えたのは、片町に行くとなると駐車場の順番待ち、それなりの格好をして出かけないといけない、休日はともかく平日仕事が終わってからでは店が閉まっている等々の煩わしさを感じていた。そんな時に郊外で駐車スペースを確保し、ある程度夜遅くまで営業している店があったら便利じゃないか、そんな思いが根底にあったという。「我々は素人だったので、自分たちが消費者の感覚で店づくりをしていったことが良かったのではないか」。店を始めるためには商品が不可欠だが、当然のことながら聞いたこともない店の人間がいきなり問屋に行って、商品仕入れを持ちかけても相手にされるはずもなく、「そんな郊外で雑貨屋をやってもお客が来ないよと笑われたものです」と苦笑する。各地の問屋を訪ねて回ったが、全く相手にされず門前払いの連続、そんな中から何とか取引してくれるところを見つけ出し、少しずつ商品が店頭に並ぶようになる。何となく始めた商売ではあったが、車社会を先取りし、夜10時まで営業、品揃えは消費者の視点等々の好要素が重なった上に、深夜営業のファミリーレストランが隣接していたことが奏功し、そこへ来店したお客様がアミングにも流れてきた。当時は、家族連れやカップルがよく利用していたことから、口コミでアミングファンが着実に増え、西江夫妻の思い以上に急成長の道を歩み始める。


●自分たちの強みは挨拶・独自の品揃え

「開店当初はたまにしか来店客がないので、必ず『いらっしゃいませ』と挨拶できた。お客様にきちんと挨拶する。それしか取り柄がないから、挨拶を徹底しようと心に決めた。品揃えは、自分の子供と一緒に成長していくように、ファミリー層が何を求めているかを考えれば、それは一番よく分かる部分で、自分が欲しいものを選べば良かった。働く女性たちが仕事を終えてからふらっと立ち寄ってもらえるように夜10時まで営業したことも正解だった」と専務は述懐する。実はその挨拶こそが、今日までにアミングが成長できた原動力に他ならない。


●職場は人間形成のための修業の場

アミング 店内「我々が事業をやっていく上での哲学は、がむしゃらに店舗を増やして売上を伸ばすことではなく、全国に共育(教育)のできる場、勉強のできる場を作りたいと思って店づくりをしています」と社長は強調する。「今の日本に一番欠けているのは教育、人間として夢を持って生きることの楽しさや善悪のけじめ、そんな原点を教えられることなく大人になってしまっている人が多すぎるのです。子供たちをまっすぐ育てるためにはお母さんの果たす役割はとても大きく、お母さんが、お父さんを立てて、日々の家事を楽しそうに、仕事を一生懸命頑張っている姿を子供たちが見ていたら、そんなに曲がった人間にはならないはずですよ」と専務は付言する。「うちの社員は将来お母さんになる人ばかりで、彼女たちが変われば世の中は変わります。既に、素晴らしいお母さんになった社員たちのレポートが当社ホームページからアミングダイアリーのところに掲載してありますから是非読んでみて下さい」と目を輝かせる。
 


●人生も商いもファン獲得競争

「全国に300社あるメーカーが一番にうちに商品をくれるわけがありません。それをどうやって入れてもらうか、メーカーさんにいかにかわいがってもらうか。250坪ある店舗を一人で見ることは不可能で、50坪までが限界です。誰か一人が休んでもアウトです。全員で協力してカバーし合わないと店は成り立ちません。そのためには、お互いにカバーし協力してもらえるような人間にならないといけません。それを私たちは徹底的に教育しています」と専務は強調する。金沢は日本一の激戦区である。これだけ郊外型の雑貨店が乱立している県は全国的にも珍しい。そこで、ずば抜けた実績を維持しているのは、従来までの20歳前半までの顧客層だけに留まらず、50~60代の年齢層まで、幅広くファンを開拓してきていることが強みであり、子供の成長とともに母娘で楽しめる店づくりが展開されているからに他ならない。


●社員の資質向上=社会を良くする

アミング 商品顧客とのコミュニケーションを深める一つとして、フラワーアレンジ教室を開催している。まず専務がスタッフを指導する教室を月に2回実施し、今度はスタッフが先生になってお客様にフラワーアレンジ教室を行い、楽しんで帰ってもらっている。それだけにとどまらず、化粧品や紅茶の教室なども定期的に行っている。こうしたことが従業員にとってもただ商品を売るだけでなく、お客さんとのコミュニケーションがさらに深まると同時に、やり甲斐にもつながっているわけだ。「金沢に競合店がたくさんできたお陰で、我々は先駆者としてどこを目指すべきかを考えることができ、常に上を狙って品揃えと店づくりをしてきています。仕事においてもプライベートにおいても、常にプラス思考で物事を考え、出来ない言い訳をするのではなく、どうしたら出来るか、その方法を考える。自分を高め心豊かな人生を送れば、その人の子供も立派に育ち、ひいては社会が良くなるのです」と企業家としての哲学を改めて強調する西江夫妻である。


■インタビューを終えて

営者は知らず知らずのうちに利益第一主義に走りがちである。『利益は後から付いてくる』『経営者に哲学なくして企業の成長なし』『社員を一人前に育てることが社会貢献』こうした企業理念を日々実践し、今日のアミングを築き上げた西江夫妻に感銘すら覚えた。

アミング 外観
商 号   (株)アミング
所在地    金沢市元町2-9-25
設 立    昭和57年

資本金 3000万円
年 商 36億7千万円(18年7月期)
社員数 正社員71名 パート・アルバイト150名
店舗数 石川4店、富山3店、福井1店、新潟4店
HP アミング

<商い益々繁盛店>(株)烏骨鶏(金沢市)

石川県産業創出支援機構(ISICO)では、石川県内で頑張っている繁盛店を取材し、商い益々繁盛店としてご紹介いたします。


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<商い益々繁盛店>(株)烏骨鶏(金沢市)


(株)烏骨鶏 生涯を賭けて育んだ天来烏骨鶏を世界に

朝食の食卓に欠かせない卵料理。その材料となる卵は1個18円ほどが相場である。多少こだわった卵でも1個50円がせいぜいという世界にあって、1個500円の卵を世に送り出し、世間をあっと言わせたのが、(株)烏骨鶏の河内隆徳社長である。人生を天来烏骨鶏に賭け、並々ならぬ努力と苦労の末に今日の成功を勝ち取った河内氏に、烏骨鶏に賭ける熱き思いを伺った。

●人生を決めた烏骨鶏との出会い
烏骨鶏のひな河内氏が烏骨鶏と出会ったのは1969年。食鳥の飼育、品質管理などの技術指導員として日本から15名の技術者が選抜され、中国へ派遣されることになった。その中の一人が河内氏だった。瀋陽で日本から持ち込んだ鳥の解体機械を試運転するにあたり、解体するために運びこまれた500羽の鳥が烏骨鶏であった。「真っ白な羽根を取ると皮も肉も骨までも真っ黒で、それまで見たことも聞いたこともなく、正直気持ち悪かった。こんな鳥を食べるのかと不信に思って眺めていると、解体した烏骨鶏を部位ごとに分け、その肉片をむしろに並べて乾燥させ、漢方薬にするという。当時の大卒の共産党員の月給が日本円で3500円ぐらいの時に、烏骨鶏は1羽2000円とかなり高価で、しかも鳥が漢方薬になるとは夢にも思わなかっただけに、いたく感銘を受け、これだ!これを日本で何とかものにしたいと思った」と振り返る。

●烏骨鶏を徹底的に研究
中国での1年半の技術指導を経て帰国した河内氏は、早速、伝手を頼って烏骨鶏に詳しいであろう薬学部の教授を探し求めて各地の大学を訪ね歩く。なかなか専門家が見つからず右往左往し、最終的に辿り着いたのが富山医科薬科大学の難波教授だった。当初は薬として商品開発する考えだったことから、以来、マウスを使って烏骨鶏が人間に本当にいいものかどうかを見極めるべく様々な動物実験を繰り返す日々が始まる。烏骨鶏の粉末を餌に混ぜた物とそうでないものとで、五世代先まで追って徹底的に実証実験を行い、データを集めた。そんな河内氏の没頭する姿に同情した難波教授から「薬を作るということは本当に大変なことで、ひとつの新薬を開発するのに100億円ぐらいはかかる。これは私財を投げ売っても対応しきれない。それよりもこれからの時代は、病気になってから薬を飲むのではなく、病気にならないための食の時代になってくるから、そっちへ方向転換しなさい」とのアドバイスを得て、漢方で言う『医食同源』の考えに基づき現在の事業を興したのが今から23年前。河内氏は、まず金沢市三小牛町に広大な農場を建設し、烏骨鶏のことを知るには四六時中一緒に生活することと、蚊帳を吊って1年半あまり農場で烏骨鶏と共に寝泊まりする徹底ぶり。「烏骨鶏の気持ちが分からずしてこの事業は成しえなかった」と語る河内氏の執念のなせる業としか言いようがない。

●烏骨鶏卵を使った烏骨鶏カステラの誕生
(株)烏骨鶏 河内隆徳社長

ただ一つの難問は、卵の販売価格が1個500円と高額になることだった。そこでまず最初に日本橋高島屋と三越本店に烏骨鶏の卵を販売してもらうべく持ち込んだ。たちまち東京で話題となり、いろんなマスコミで取り上げられたものの、現実にはほとんど売れず、傷みかけた卵を餌の中に混ぜる日々が続いた。この時「話題になるのと売れるのは別問題。いいものは必ず売れるわけではないことを痛感した」という。それから何年か経ったある日、NHKの30分番組で烏骨鶏に賭ける河内氏の姿が全国に紹介された。たまたまその番組を三越の商品本部長が見て、大雪の日にはるばる金沢の同社を訪れ、「この卵の付加価値を上げたらどうか。この卵を使って三越本店に相応しいカステラを作れないか」と提案される。早速、全国の有名カステラメーカーに烏骨鶏の卵を25個ずつ送って試作を依頼し、出来上がったものを会議で試食して決めることになった。社名が出るとそのブランド名に左右され正しい判断ができないとの理由から各社に一連の番号をつけ、地元の3社を含め全国の21社の試作品が出来上がってきた。それを試食した結果、最も三越に相応しいカステラとして選ばれたのが、なんと金沢の菓子メーカーが試作したカステラだった。「あの時は、今までの苦労が報われたという思いがこみ上げ、涙が出るほど嬉しかった」と述懐する。同年、三越の株主総会のお土産として烏骨鶏カステラが選ばれ、600セットを納品。さらに三越の社長がお得意先に贈るお歳暮の品に選ばれとトントン拍子だった。ところが、その商品を納めた直後、「すぐ来るように」と呼び出され上京すると、大事な得意先からクレームがあったという。なんとカステラの中にゴキブリが入っていたのだ。この時クレームの恐ろしさを身を以て思い知らされる。地元の菓子メーカーに不良品があったことを伝えると「ごめんね。取ればいいがいね」の返事に愕然とする。もちろん三越が自社商品に最後まで責任の持てない店と取引を続けるはずもなく、即刻取引停止。口に入るものの恐ろしさ、やっとの思いで築いた信用が一瞬にして崩れ去った。

●執念の賜物・自社製「烏骨鶏カステラ」誕生秘話
烏骨鶏 商品
それからというもの悶々とする日々が続いたが、一か八か自分でカステラを焼くことを決意する。もちろん作り方を知るはずもなく、全くの素人だが、卵を売るためのカステラではなく、カステラのための卵を産む烏骨鶏を飼育するところから手がけ、餌から変えて濃度が高く弾力性がある卵を完成させる。と同時に、カステラを焼くための機械設備を2000万円かけて導入する。カステラの基本は粉・砂糖・卵であり、愛娘と二人で2年半カステラづくりに没頭する日々が始まる。調合を微妙に変え、それをその都度メモしながら、毎日仕事の終わった夕方から深夜までひたすらカステラを焼き続けた。「娘も年頃で、結婚式が近づいていたが、まだカステラは完成しないまま、娘には悪いなと思いながらも何とか完成させたい一心だった。口に入れたらさっと解けて昔ながらの卵の香りがするカステラを作りたい。砂糖を従来の3分の1にし、腰のある卵で勝負した。さすがに2年以上やっても満足できるカステラが焼き上がらず、私も娘もほとほと疲れてきていた。結婚式まで残すところ数日となって、何とか私にカステラを完成させてやりたいという娘の気持ちがひしひしと伝わってきて、再度気持ちを立て直して取り組み、忘れもしない結婚式の二日前の明け方4時、これだ!と言えるカステラが出来上がった。あの時は本当に嬉しかった」。烏骨鶏カステラにはこのような父娘のドラマが秘められていたのだ。

●烏骨鶏カステラが成功への道を拓く
出来上がったばかりのカステラをその日の午前中に三越本店の商品本部長に持って行ったところ、「こんな美味しいカステラは食べたことがない。よく2年半でこれだけのものを完成させた」と絶賛される。まさに父娘の執念と烏骨鶏の卵が生み出した最高傑作の完成である。このカステラの爆発的ヒットは周知の通り。そのため原料となる卵が不足する状況となり、現在、津幡地区で第2農場の建設に着手している。カステラに始まり、今では烏骨鶏のスープ、日本酒、化粧品、プリン、酢、ラーメンスープ、ケーキ、パン、お粥、ソーセージ等々様々な商品が次々と生まれている。さらに認知症の研究において、烏骨鶏の卵に脳細胞を活性化させるコリンという物質が含まれていることが分かり、現在研究が進められている。「自分で商品の値段を付ける以上は人の何十倍もの努力をしないといけないし、妥協は許されない。それと同時にこの商品は物語ができる商品かどうか、物語のできないものは市場では絶対売れない」と断言する。その一方で、「今日自分があるのは、私のような烏骨鶏気狂いに付いて来てくれた女房とカステラづくりに力を貸してくれた娘のお陰であり、心から感謝している」と目頭を熱くする。石川から全国、そして世界に烏骨鶏の素晴らしい恵みを発信していくことがこれからの大きなテーマで、「烏骨鶏気狂い」を自称する河内氏の烏骨鶏を広める旅の終着点はまだまだ先のよう。

■インタビューを終えて
烏骨鶏の名前をそのまま社名にしている河内氏の烏骨鶏に賭ける情熱から生まれたビジネスは、まだまだ大きな可能性を秘めている。この烏骨鶏を石川ブランドとして次代に受け継いでいく後継者育成が真の課題かも知れない。

烏骨鶏 店舗
商 号 (株)烏骨鶏
所在地    金沢市西念4-21-18
設 立    平成16年5月

資本金 1500万円
年 商 9億円
社員数 45名
HP 金澤烏鶏庵

石川県産業創出支援機構(ISICO)では、石川県内で頑張っている繁盛店を取材し、商い益々繁盛店としてご紹介いたします。


石川県の繁盛店をご紹介!<商い益々繁盛店>
<商い益々繁盛店>中華ダイニング煌(ファン)(金沢市)


中華ダイニング煌

開店してまだ4年と日は浅いものの、金沢市内で女性に人気の中華レストランとして評判の店、それが高尾台に店舗を構える中華ダイニング煌である。飲食店の激戦区でもある金沢工業大学界隈にあって、顧客との様々なコミュニケーションを模索し、着実に煌のファン層を増やしている商いの秘訣をシニアソムリエでもある南健一支配人に伺った。
●原点に立ち返りリニューアル
昨年、月刊誌『日経レストラン』に同店が取り上げられた。「その編集担当者が来店した際、『有松からタクシーに乗ってこの店までの5分以内の間に、飲食関係の店がたくさんありましたよ。いったいこの地域はどういうところですか』と驚かれていました」と南氏が話すように、飲食店が乱立する激戦区にあって顧客のファーストチョイスを得るためには、まず価格、そして味、雰囲気が鍵を握る。金沢工業大学が近くにあることから学生をターゲットにしている店が多いことが価格低下圧力として作用している。そんなことからオープン当初は、安くて美味しい小皿料理を提供し、お酒を楽しんでもらう中華風居酒屋がコンセプトであった。一昨年11月、南氏は支配人就任を機に、店のコンセプトを今一度見直し、メニューの一新、内外装のリニューアルならびにソフト面の充実と、先頭に立って取り組んできた。

●すべてに煌のこだわりを
南健一支配人「煌」という字には、きらめき・輝きという意味がある。リニューアルに際しては、お客様にそういった時間や空間を提供できる店としてのコンセプトを柱に掲げた。「食事=お腹を満たすだけでなく心を満たす店、美味しいのはもちろん、楽しい、嬉しいがある店。もう一つは、中国料理の観点から医食同源と言われるように、食べることは薬を飲むことと同様に体に良いこと。それに関して我々のできることは何か。まず全てを手作りで。当たり前のことかもしれませんが、最近は出来合いのインスタント・冷凍食品が氾濫し、コックレス時代とまで言われています。そういうものは一切使わずに、本当の美味しさを伝えることがあるべき姿と考え、全て手作りで提供しています。それによってお客様にからだも心も健康になっていただきたいと考えています。さらに、旬を大切にしたいと考え、地物にこだわった料理を心掛けています。例えば今なら秋のコースに地元産の五郎島のさつまいもを使っています」といった具合に、季節の旬を取り入れるため年4回メニューを見直し、ランチは月替わりで提供している。煌のこだわりはそれだけではない。水にもこだわっている。水道水には塩素やトリハロメタンをはじめとした有害物質が含まれていることから、それらを除去しアルカリ化した「プリウス水」を使用。さらにレストランでは大量の油を使って料理するので、大量の汚れ物が出る。そのため、100%天然の植物油から生まれた無添加洗剤を使用し、環境を大切にすることにも意を注いでいる。

●新メニュー開発に全スタッフが関わる
チャイニーズバーガーランチお薦めランチはチャイニーズバーガーセット。いわゆる中華風ハンバーガー(1000円)だが、女性をターゲットにスローフードの精神を取り入れた体に優しいメニューを提供している。実は、このランチを開発するにあたって、同店のスタッフ全員でアイデアを出し合うコンペを導入した。店側の考えでは、原価率や効率を優先し、最も重要な顧客本位の姿勢がないがしろになりがち。主婦もいれば学生もいて、それぞれが求めているものは顧客のニーズに近いからだ。それらのアイデアの中から女性スタッフの提案したバーガーセットが採用された。提案した本人もお客様が食べて喜んでいただく姿を見ることで、働くことの喜びを感じることができる。まさに一石二鳥、スタッフのモチベーション向上にも役立っている。

●お客様の声に耳を傾けるためアンケートを導入
「我々にやれることから一つずつ改善していきたいと考え、その参考としてお客様からアンケートをいただき、その貴重なご意見を我々の仕事にフィードバックしています。」このアンケートについても店側が聞きたいことと、働いているスタッフが聞きたいことが異なるため、スタッフの聞きたいことも質問項目に入れてあるという。「アンケート結果を回覧することで、スタッフの励みや反省にもつながっています」とアンケート効果を披瀝(ひれき)する。

●ふぁん(煌)カレッジでファンを掴む
飲酒運転の厳罰化により、アルコールが以前のように売れなくなったことは、飲食店にとって頭の痛い問題である。売上が減少した分をカバーすべく、南支配人は中国茶を販売することを目論んだ。とはいえ、日本人は、『お茶は無料』という認識が強く、お茶を売るといっても簡単にはいかない。そこで考えたのが、中国茶の魅力を知ってもらうための教室を開き、飲み方や味、効能を知ってもらうことから始めることだった。ふぁんカレッジと命名し、半信半疑でスタートしたが、三ヶ月目からはあっと言う間に定員に達する人気となり、多い月には100名を超すことも。1回10人の教室を各2時間、毎月約10日間行い、料理やお茶のこだわりを話し、新メニューの試食を行って意見を聞くなど、ふぁんカレッジを開催したことで、結果としてお茶の売上も伸び、来店客増にもつながってきている。「正直なところお茶教室がこんなに好評をいただくとは思ってもいませんでした。しかも、お茶教室に参加されたお客様からワイン教室も開いてほしいとの要望があって、ワイン教室を開催するようになり、それに続いてシェリー教室もと、お客様の輪が大きく広がってきています」と顔をほころばす。

●pour Mariage 茶龍的煌
店内今夏の改装で1階に茶龍的煌(サロン・ド・ファン)が誕生した。ゆったりとした空間で、中国茶やワインを味わいながら食事を楽しめるスペースである。

このスペースはフランス語で「マリアージュのための」という言葉が付けられている。マリアージュは一般的には結婚という意味だが、とても相性のいい飲み物と料理が出会うこともマリアージュといい、料理と中国茶、ワイン、シェリーなどの組み合わせを楽しんでもらうことがこの空間のテーマだ。プールマリアージュ効果で飲み物も料理も美味しさが倍増すること請け合いの絶妙の雰囲気が醸し出されている。

●顧客満足が最重要課題
店内長引くデフレ経済下で、低価格競争の世の中になっているが、そうすることで一時的に来店客数は増えるかも知れないが、作業が煩雑になり、お客様の待ち時間が長くなることで顧客満足度は低下し、売上が上がらず利益率も低くなるという悪循環に陥る。煌の商いは、客席数をあえて減らすことでゆったりとした空間を演出し、単価を上げて良いものを提供することで、限られたお客様に付加価値を感じて満足してもらい、利益率も確保できる堅実な商いを実践している。「この店を充実させることが当面の課題です。煌ならではのおもてなしでお客様に喜んでいただきたい」と率先垂範する南氏である。

■インタビューを終えて
顧客第一主義。サービス業においては言い古された言葉であるが、これを実践できている数少ない店が煌である。顧客の意見に耳を傾け、スタッフの意見に耳を傾け、顧客満足度の向上に日々邁進する煌のさらなる進化が楽しみである。

ファン外観
商 号 中華ダイニング煌
所在地    金沢市高尾台3-23
創 業    平成14年
従業員数 社員4名、アルバイト20名

<商い益々繁盛店>和倉温泉信寿し(七尾市)

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「和倉温泉信寿し」~「おかげさまで」感謝の心を忘れずに

商い益々繁盛店「和倉温泉信寿し」~「おかげさまで」感謝の心を忘れずに


七尾湾産の地物のやりいか・あかにし貝・カワハギ・さよりなど、新鮮な日本海の食材に恵まれた能登・和倉にあって、創業以来44年あまり、地元客はもちろんのこと浴客にも愛され続けている寿司屋が和倉温泉信寿しである。
昨年10月には金沢片町に出店し、信寿しの新たなファンづくりに邁進している。和倉本店の堀納信晃店長に商いにかける想いを語っていただいた。


営業ツールとしてホームページを活用
信寿しの寿司。 遡ること7年前、先行投資のつもりで業者に依頼してホームページを開設した。それをPRするため、旅行ガイドブックにアドレスを入れたり、地元の路線バス後部の広告看板にアドレスだけを大きく入れて宣伝したところアクセス数が急増。毎日、内容を多かれ少なかれ更新することで、常に検索エンジンの上位に登場するよう努め、和倉温泉、能登、寿司といったキーワードでもヒットするようにしてある。

 「せっかくコストをかけて制作したホームページだけに、見ていただかないことには話にならないですから、これを見て少しでも多くの方にご来店いただければと思っています」とアクセス数増に日々腐心する。


地物の新鮮な食材が宝
信寿しのすしと新鮮なネタ ネタとなる魚は新鮮な地物が中心。「七尾湾で水揚げされた魚は、味・鮮度とも最高で、これだけの食材を使えることは職人冥利に尽きます」と七尾の地で商いできることに感謝する。
 「寿司は喉を通るときにネタとシャリが一体となっていないと美味しくないだけに、ネタを食べやすくする工夫や、一口で食べられる大きさなど、お客さんの要望をお聞きしながら日々勉強です」と謙虚に語る堀納氏。
 海のない地方からの観光客は、鮮度のいい地の魚に匂いがないことに一様に驚くという。信寿しとしての一押しは、七尾湾産のあかにし貝。独特の食感は、実際に食べていただくしかない個性的な一品である。


顧客本位の店づくり
新装になった個室スペース 信寿しの店舗は数年サイクルでリニューアルしている。そこまで積極的に設備投資する理由を伺うと、「常にお客様に気持ちの良い空間で食事をしていただきたいとの思いから、定期的にリニューアルを行っています。直近の改装では、カウンター奥に個室を3室設けました。個室ができたことで、他のお客さんが気になって来店しにくかったお子さんのいる家族連れから『気軽に食べに来られるようになった』と喜ばれています。また、社用での接待利用も増え、個室スペースを設けたことで、お客様の幅が広がり、お客様の喜ぶ顔が励みになっています」と顔を綻ばす。


金沢店は試練の場
 金沢片町で、長年酔客に親しまれた「すし幸」が、経営者夫婦の高齢化と後継者がいないことから閉店することになり、鮨組合を介して信寿しに出店要請があった。
 「正直言って、七尾の地元のお客様に育てていただいて今日までやって来ることができたわけで、金沢に店を持つことは大きな冒険であり、不安が一杯でした。それでもご縁があってお声をかけていただいただけに、その期待に微力ながらお応えできるように頑張ることも信寿しとしての責務と考え、金沢のお客様に勉強させていただこうと決断したわけです」と経緯を語る。

 当初は不安だらけの船出だったが、徐々に口コミで常連客が増えはじめ、地元の雑誌やテレビで取り上げられるたびに、来店客数が伸びているという。「金沢に出店したことで、和倉本店に対する期待値がこれまでより高くなり、その期待を裏切らない寿司とサービスを提供していかなければならず、私も日々緊張の連続です。金沢の店と和倉本店が互いに切磋琢磨し、一人でも多くの信寿しファンを作っていくことが、私と社長の目標であり、お客様から教えていただきながら精進していきたい」と表情を引き締める。


気軽に来店できる寿司屋が目標
堀納信晃店主 一見客にとって、温泉地にある寿司屋はなかなか入りづらいものがある。そこで、入りやすい店にしたいとの思いから価格を明記したメニューを玄関先に出してある。
 「メニューを見て入店していただいたお客さんの緊張感をいかに早く取り除いてリラックスしていただくか。そこに最も気を遣っています。とにかく気軽に来ていただける和気藹々の店づくりが私の目指すところで、お客様が暖簾をくぐられた瞬間にほっとしていただけるような店に少しでも近づけるように日々精進していきたい」と語る。

 「客商売にとって一番大切なのは口コミです。例えば、観光客の方が仲居さんや地元の人に『美味しい寿司屋を紹介して』と尋ねた時に、『それなら信寿しがあるよ』と紹介していただけるような店になることが目標です。そのためには、日頃からの地道な努力が不可欠だと思っています。
 その意味で、一歩外に出たら街の人たちがみんな見ているわけで、たとえすれ違う相手が知らない人でも自分から挨拶することを心掛けています。同じ商売をするなら周囲の人たちから愛される店、応援してもらえる店にしたい」と実践する日々である。

 「言うは易く行うは難しで、まだまだ半人前ですが、これまで四十年以上、変わらずに信寿しをひいきにしていただいた地元のお客様のお陰で今日があることを肝に銘じ、常に初心を忘れずに、『おいしかった』の一言をいただける皆様からかわいがっていただける和倉温泉信寿しであり続けたい」。その思いで日々精進していく決意を新たにしている。 

 刀祢社長から三代目として後を継ぐことを託されている堀納さん。偶然にも名前が信晃で、信寿しの信が入っていることから「これも運命かなぁと感じ始めています」とほぼ覚悟を決めた様子。志を高く掲げ、日々努力を惜しまない堀納店長の今後の精進が楽しみである。


信寿し 店舗外観商 号: (有)和倉温泉信寿し
創 業: 昭和36年
設 立: 平成15年
資本金: 300万円
本 店: 七尾市和倉町ワ部18-5
支 店: 金沢店(片町2-24-11)

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