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<商い益々繁盛店>(株)山中石川屋(加賀市)

石川県産業創出支援機構(ISICO)では、石川県内で頑張っている繁盛店を取材し、商い益々繁盛店としてご紹介いたします。


石川県の繁盛店をご紹介!<商い益々繁盛店>
「山中石川屋」~山中温泉にこよなく愛される銘菓あり・・・娘娘万頭

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山中温泉の土産として、地元はもちろんのこと、観光客にも愛され続けている娘娘(にゃあにゃあ)万頭。
山中石川屋の先代が山中温泉の名物となるお菓子を作れないものかと試行錯誤の末に考案した。時代の変遷を経ても変わらぬ人気を博している。山中石川屋の菓子づくりにかける情熱を3代目石川光良社長に披瀝願った。


●娘娘万頭誕生の裏話
山中石川屋の代表銘菓「娘娘万頭」 山中温泉の旅館よしのや依緑園の先代が「石川さん、わしの好きな万頭を一つ作らんか。わしは娘娘(にゃあにゃあ)という言葉が好きなんだが娘娘という名前で何か万頭を作れないか」と山中石川屋の先代に持ちかけたのがそもそもの始まりである。
 そこで、先代が考えた娘娘万頭のコンセプトは、加賀美人の上品さをつぶ餡ではなく漉し餡で表現し、形はただ丸くて大きいだけでは色気がないことから、そんなに大きな口を開けなくても一口で入るような小判型とした。高さ1センチで直径は2~3センチ、大き過ぎず小さ過ぎず、ちょうどいい万頭の容量は33グラム、口に入れるとふわっと解けてまろやかな味がする、それが加賀の娘のイメージで、とにかくかわいく見せたい。そんな思いがこの万頭には込められているのである。


バブル崩壊が大きな転換期に
 バブル期は旅館の土産菓子として娘娘万頭が飛ぶように売れていた。ところが、バブルの崩壊で温泉客の入り込みが悪くなってくるにつれ、業績が低迷した山中温泉を代表する旅館が立て続けに休業すると同時に、当社の売上が一気に落ち込む現実に直面する。その時、取引銀行に今後の業績の推移をシミュレーションしてもらった。
 それまでの商いを見直し、原材料費の減少、定年退職者による人件費のダウンなどを勘案すると、当社は売上げが減少しながらでも堅実に利益を上げられる企業体質を構築できる見通しが立ったのである。
まさに、「災い転じて福と成す」である。そのうえ、バブルが崩壊した頃からジャスコや平和堂といった大型ショッピングセンターの加賀地区への出店が相次ぎ、各大型店からの出店要請に応じて多店舗展開を進めることができた。これによって、温泉旅館オンリーだった時代に比べれば売上げは減少したが、利益を確保できる体質に転換できたのである。

 現在では、福井の武生・鯖江・丸岡・春江、加賀温泉駅のアビオシティ、加賀・小松のジャスコ・平和堂、金沢の平和堂に納品している。時流に対応しようとした時に自社では何ができるのか、それを真摯に見据えていく姿勢と大型店からの出店要請がうまくかみ合ったと言える。
 そして、菓子製造の機械設備に対する投資を積極的に行い続けてきたことも奏功している。「何をおいても今日こうしていられるのは先代が作った娘娘万頭のおかげであり、毎月命日には墓参りに行ってきれいに掃除していますよ」と先祖への感謝の念も忘れていない。


菓子づくりのこだわり
 山中の水は全国的にも美味しく、量は豊富である。このような水で菓子づくりができることを石川社長は大きな喜びとしている。
 原材料は、昔から風味があって美味しい、北海道の十勝・旭川・千歳周辺で収穫される小豆を使用。娘娘万頭で使用する餡は漉し餡のため、煮て潰すことから粒の大小はほとんど関係なく必要量さえ確保できれば良い。価格もつぶ餡に使用する大きめの小豆に比べると安定している。
 昨今の市場には中国産の安い小豆が流通しているが、それは一切使用していない。娘娘万頭の作り方もほとんど変わっていない。美味しく食べてもらう菓子づくりには、三秤一体分離型と言って、小豆が砂糖と水を抱き込む塩梅が決まっている。砂糖を多く入れると水の量が不足して甘くてパサパサになるし、砂糖を減らすと水っぽくなってすぐに腐る。糖度の最適な菓子は食べた時に口の中で甘みと旨みが広がる。それが糖度51度~52度ぐらいで、漉し餡のでんぷんが水と砂糖をバランス良く抱きかかえてくれる。
 先代からの餡作りの調合は今も受け継がれている。


安心・安全な菓子づくりがモットー
山中石川屋の店内 石川社長の長男・喜一氏が新潟の菓子屋で2年あまり修業した。工場の現場から営業、店頭販売の接客まで、一通りの勉強をし、現在、工場の管理を率先している。HACCP対応までは至っていないものの、それに近いレベルにまで当社を持っていくべく真剣に取り組んでいる。
「できれば徹底した衛生管理をやりたくてうずうずしているが、現在の工場では難しく、HACCPに対応する時には新工場を建設しないと・・・」と腕を組む。

 それでも民間の検査機関と年間契約を結び、従業員の検便、手のひらの拭き取り検査などを定期的に実施するなど、衛生面に関しては厳格な取り組みを実践している。さらに、販売した菓子に万が一不都合があった場合も、その原因となった菌まで究明し、再発防止につなげる徹底ぶりだ。


菓子屋を始めて100年、次なる柱は・・
(株)山中石川屋 石川光良社長 娘娘万頭以外に約40種類の商品アイテムを展開しているものの、娘娘万頭の売上が大部分を占めていることは言うまでもない。
「先代の時代から、これさえ持って行けば東京の人が喜ぶから買いに来ましたと来店されるお客様が多く、本当に有り難いことだと感謝しています」と顔を綻ばす。娘娘万頭は同店にとっての大きな看板商品であることにかわりないが、石川社長としては自らの代にも何かヒット商品を生み出せないかと日々試行錯誤している。
 そうした中で葛を用いた和菓子にとりわけこだわり、年間を通して葛菓子の中に果物、梅、栗などを入れた商品を提案している。「娘娘万頭に匹敵するような菓子ができないものかと毎日思いを巡らしているが、なかなか・・・。今のところは、娘娘万頭を看板にしながらその横でいろんなバリエーションを考え、いつかはこれだという菓子を創り出したい」と意欲をにじませる。

 「お菓子には『山中へ行ったら娘娘万頭を買って来て』という宣伝文句、目で見て『美味しそうな万頭や』という見た目、手に持った時に『美味しそうな重さ』を感じる容量、封を開けた時の『いい匂いがする』という臭覚に訴えるもの、万頭を割った時の視覚に訴える小豆の色、最後に口に入れた瞬間の『うん、美味しい』という満足感、こうした五感に訴える要素が相俟って山中へ行ったら娘娘万頭をというリピーターが増えており、そうしたお客様を裏切らない商品づくりを菓子屋として守っていきたい」と決意を新たにする。

 山中温泉で生まれ育った土産菓子屋として、これからも地道に歩んでいこうとする石川社長の心意気がひしひしと伝わってきた。


山中石川屋 店舗外観商 号: (株)山中石川屋
所在地: 加賀市山中温泉本町2丁目
設 立: 昭和27年9月
資本金: 1,500万円
年 商: 約3億円
従業員数:36名

<商い益々繁盛店>ブック宮丸(金沢市)

石川県産業創出支援機構(ISICO)では、石川県内で頑張っている繁盛店を取材し、商い益々繁盛店としてご紹介いたします。


石川県の繁盛店をご紹介!<商い益々繁盛店>
「ブック宮丸」~本にこだわり、超・書店づくりに挑む!!

商い益々繁盛店「ブック宮丸」~本にこだわり、超・書店づくりに挑む!!

 戦後間もない昭和23年、金沢市安江町で産声を上げたブック宮丸。以来58年の歳月を経て、金沢市内に6店舗を構える地元でも有数の書店として確固たる地位を確立し、県外大手資本の書店が進出・撤退を繰り返す中にあって、堅実な商いで着実に業績を伸ばしている。宮本秀夫社長が目指す新しい時代の書店のあり方はいかに。


多店舗化で事業に活力
(株)ブック宮丸 宮本社長 先代が創業した書店に入社したのは宮本社長が22歳の春。
店は7坪の笠市店1店のみだった。「おやじはその時から私に全て任せてくれた。商売をするなら片町でやりたいと常々想っていたことから、その年の10月に6.5坪の片町店を、翌年14坪の武蔵店、さらにその翌年、マンガ専門店・コミックハウスを出店した。

 とにかく市内の拠点となる場所に店舗を持つことで、何よりもまず市民に認知される書店になりたいと思った」と矢継ぎ早に出店した経緯を語る。高校卒業と同時に東京の書店で修業し、商いのイロハを学んだことが多店舗展開を後押ししたようだ。

 昭和50年代後半になると書店業界が一大転換期を迎える。それは広い駐車スペースを確保した郊外型の大型書店の出現である。当然のことながら、中心商店街が寂れ始めていたことに危惧の念を抱いていた宮本社長も郊外出店を決断せざるを得ない状況に直面する。


社運を賭けた大勝負
 その想いを形にしたのが、平成6年、満を持しての金沢南店(八日市)の出店である。「ほんとにうまくいくだろうか、どきどき冷や冷やしながらつくった店舗だったが、蓋を開けると、私の心配をよそに順調に滑り出した。このことが自信になり、5年後の金沢北店(諸江)の出店につながった」と振り返る。

 今後、書店は拡大競争の時代に突入することが分かっていたことから、金沢南店は設計段階から二階建ての店舗としたものの、開店以来2階部分は未使用のままになっている。というのは、建物だけでもかなりの投資だった上に、2階まで使用すると在庫負担も2倍になるため、当時の財務力・運営力を考えて段階を踏んでからの展開をと判断した。だからと言って、2階にテナントを入れた場合は自社で使用できなくなることで競争力が削がれる。その上、一旦入れたテナントを家主の都合で退店願うことも難しいことから、自社としての明確な使い道が決まるまで塩漬けにしてある。


各店各様の品揃え
ブック宮丸の雑誌コーナー 宮丸として特徴を出す必要があるとの考えから、金沢南店(240坪)は、数ある書籍の中から力を入れる部門をコミック、文庫、コンピュータ・ゲーム関係、雑誌に絞り、品揃えを強化することで個性を打ち出した。

 一方、金沢北店は1・2階の450坪のスペースがあることから、当店の看板商品であるコミック・雑誌に加え、2階を専門書コーナーとし、当初はコンピュータ関係に特化した品揃えを行った。最近では時流に対応した介護・看護部門の専門書にも力を入れている。同じ金沢市内でも両店舗の客層はかなり異なり、売れ筋も違う。周辺に会社が多いのか、一般住宅が多いのか、学生が多いのか、これによって売れる商品がガラリと変わってくる。金沢北店は能登有料道路から金沢市内への入口に位置することから能登地域からの来店客も多い。


店の規模が会社を育てる
  「金沢南、金沢北の両店舗をやったことで、大きく社内体質が変わった。大きな店舗ほど運営力、管理力が店長をはじめとしたスタッフに備わっていないと、せっかく大きな売り場をつくってもがっかりする店になってしまう。
品揃え、人材育成を店舗運営と同時並行して進めながら今日に至っている」と語る。そこには、社員の努力はもちろんのこと、顧客に育ててもらいながら日々成長してきているとの実感が込められている。

 最近では書籍のネット販売も伸びているが、本の場合は手にとって中身を確かめて買いたいというニーズが圧倒的に強い。そうした顧客の立場になると、現物を手に取り吟味して買う本屋がなくなることは考えにくい。とはいえ、当然のことながら規模の競争になってくることから、大きな店舗をつくっていくことが宿命ともいえる。それも、ただ大きくするのではなく、「本業は本屋であることを肝に銘じ、本業をしっかりとやっていきたい」と明言するように、中途半端に手を拡げ、競争力のないものを二つも三つも持つことよりも魅力ある店づくりに意を注ぐ考えを強調する。

 店舗運営面では、昔から書店の悩みの種である万引きにも気を配り、全店で防犯カメラを導入している。この問題は青少年への影響も大きく、業界としてICチップを本に埋め込むことなども検討され、一部実験も始まっているが、今後の普及が待たれる。


県外大手書店との差別化
 書籍の場合は商品アイテムが多いだけに、他店との違いを出すことは比較的容易だという。
 書店の業界に価格競争が導入されるともっともっと淘汰されていくことが考えられる。アイテム数で当店の2倍も3倍も品揃えが豊富な大型店が出てくれば、顧客がそっちへ流れることは必至で、脅威であることにかわりはない。そうならないためには、ブック宮丸に行けばこの種の本なら必ずあると足を向けてもらえるように、顧客に認知される店に持っていくことがポイント。来店した結果として期待通りの品揃えがなされていればリピーターにもつながる。

 さらに、サービス面での社員の資質の向上、取り寄せの便宜をいかに高めるかなどが鍵を握ってくる。「顧客は無駄足を一番嫌うわけで、この本ならブック宮丸だと地域の皆さんに思い浮かべていただける店づくりに邁進していきたい」と地道に歩む覚悟だ。
 20年前、書籍の年間出版点数は3万点程度だった。それが、現在では7万点を超している。そんな膨大な商品の中から、自社の店舗に何を並べるか、その選択眼が今後の商いの成否を左右する。金沢北店のスタッフとして日夜奮闘する長男武史氏と二人三脚で目指す「書店を超えた書店」づくりから目が離せない。


ブック宮丸 店舗外観商 号 (株)ブック宮丸
創 業 昭和23年
資本金 1,000万円
従業員数 70名(うちパート55名)
店舗数 6店舗

<商い益々繁盛店>羽二重豆腐(株)(金沢市)

石川県産業創出支援機構(ISICO)では、石川県内で頑張っている繁盛店を取材し、商い益々繁盛店としてご紹介いたします。


石川県の繁盛店をご紹介!<商い益々繁盛店>
「羽二重豆腐」~美味しさをより多くの人に届けたい

商い益々繁盛店「羽二重豆腐」~美味しさをより多くの人に届けたい

 大正12年、冷蔵庫業、凍豆腐の製造で創業した羽二重豆腐(株)は、現在では乾燥品のこうや豆腐だけでなく、豆乳・豆腐や油揚げを素材とした、がんも・いなり・サンド・ハンバーグ・コロッケなどのさまざまな冷凍食品を手がける食品メーカーに変貌しつつある。
 大豆の持つ良さを生かした同社の製品にかける思いを藤原英二社長に伺った。


あゆみ
羽二重豆腐(株)藤原英二社長 大正12年に越桐弥太郎氏が冷凍業及び一夜凍豆腐の製造を始めたのが同社の創業である。昭和31年、羽二重豆腐に社名変更、翌年、創業者の死去を受けて長男・越桐芳一氏が社長に就任し、こうや豆腐だけでなく冷凍食品の分野へも事業を拡大する。
 金沢で生まれ育った人間には馴染み深い「味だし付き羽二重こうや豆腐」は当時の看板商品である。

 平成8年、芳一氏の死去を受けて葉子夫人が社長に就任し、職場環境の改善ならびに生産の省力化・効率化を図り、食品衛生管理の徹底を図るためHACCP推進委員会を発足させる。
 13年に葉子氏が会長に、娘婿の藤原英二氏が社長に就任。藤原氏は社長就任直後から豆乳を活用した新開発商品で新たな事業展開に挑み、その努力が実を結び成果が徐々に目に見える形となってきている。


現状を把握することから・・・
 NTTデータでソフトウエア開発を担当していた藤原氏が、義父の会社とはいえ、全く畑違いの食品会社のトップに就任して5年目を迎える。「正直言って、戸惑いはあったものの、日々の生活に身近で、身体に良い食品製造の仕事に携わることへのやり甲斐の方が大きかった。まずは現状を把握することからはじめ、私に求められていること、私がこれまでの経験で得たものをどう生かせるか、それがスタートだった」と就任当時を振り返る。

 市販のこうや豆腐中心の商いだった時代から、徐々に大豆を素材とした関連製品であるがんも、油揚げと生産品目の幅を広げ、今では冷凍食品としての惣菜系食品が5割、冷凍油揚げ3割、冷凍がんも2割、乾燥品の凍豆腐1割という生産比率に様変わりし、商品アイテム数は約300種類にのぼる。


食品の安全・安心への取り組み
機械化された製造工程 同社では、平成12年に食品の衛生管理の徹底を図るためHACCP推進委員会を社内に設置。HACCPの基本的な考え方に則り、安全で安心な食品を提供できるよう各工程での管理はもちろんのこと、原材料受け入れ時の品質管理、さらに遡って原料のトレーサビリティー(生産履歴)もチェックしている。

 原料の大豆は一部国内産も使用しているが、大部分はカナダから遺伝子組み換えでない証明書付きのものを輸入している。1ヶ月に約40tの大豆を使用し、凍豆腐は1日に2万個、冷凍食品は1日に4万食(60g換算)、冷凍がんもは1日に15万個(25g換算)を生産している。

 将来的には、品質管理、生産工程管理、製造設備などのさらなるレベルアップを図り、食品工場としてHACCPの認定を受けることを目標に掲げている。合わせて品質管理のISO22000の取得も今後の課題の一つと捉えている。


北から南まで全国に販売
同社の冷凍食品見本 同社は、北海道(札幌)、東京、大阪に営業拠点を設け、北海道から九州まで、全国に幅広く冷凍食品を販売している。
 主な納入先としては、病院や介護施設などでの医療食、学校給食、産業給食といわれる企業の食堂や弁当製造業者、地元では有力メーカーの寿司弁当に使われているがんもは大部分が同社の製品である。
その他、旅館やホテルの朝食バイキングの和食材料やデパートの味付惣菜など、和食を見直す時代の流れに沿って、その用途は年々広がりを見せている。


豆乳がんもがヒット!
がんも生産ライン 時代の流れが固い商品より柔らかい商品に向かっている中で、従来の豆腐から作るがんもは歯ごたえがあるのに対して、豆乳から作ったがんもはソフトな食べ心地で、味もおいしいことから最近売上を伸ばしている。

 そもそもこの豆乳がんものアイデアは、同社の研究開発室の川島室長が長年温めていたもので、いろいろと試行錯誤したものの上手くいかず、開発が頓挫していた。藤原社長の代になって、再びチャレンジして現状の豆乳製造ラインでも生産できるように工夫すると共に、一部新しく豆乳冷却プラントを導入して豆乳を利用した新商品開発に取り組み、長年の懸案であった豆乳がんもの製品化にこぎつけることができた。

 「世の中で飲む豆乳が伸びており、健康イメージの高いものだけに、今後もいろんな商品に豆乳を使っていきたい。すり身の中に豆乳を入れることで魚臭さが緩和され美味しく食べられる商品に仕上がることから、そうした展開も徐々に広げていきたい」と意欲的だ。


営業面での方向性
こうや豆腐生産ライン 既に同社が手がけている医療食関連分野は、シルバー世代が増えていく時代にあって、大豆を中心とした和食は、健康な人はもちろんのこと、病院や介護施設において今後さらに需要が伸びていくことが考えられる。
 そうした層に向けての販路開拓、新商品開発がこれからの重要な課題であることは間違いない。と同時に、そうした世代の人たちは昔食べた懐かしい味、食品には特別の思い入れがあることから、豆腐、納豆、がんもなどの大豆製品は受け入れてもらいやすい食品である。

 これからもさまざまな新商品が開発されていくことだろう。業務用卸の分野だけでなく、市販のスーパーや小売店への売り込みについて伺うと、「スーパーの店頭に並ぶ冷凍食品は価格競争が激しく、生産量も桁違いに大きいことから、地方の小規模なメーカーの商品を店頭に並べてもらう段階にまで持っていくことは至難の業であり、市販よりも業務用卸にシフトせざるを得ない」と地方の中小メーカーのジレンマを垣間見る。
 「とはいえ、凍豆腐を店頭に置いていただいているお店やスーパーに対しては、これまでのつながりを活かし、小規模なメーカーなりの特徴とこだわりを活かして、少しでも多くの商品を扱っていただけるよう努力していきたい」と力を込める。

 昨年、同社はホームページを公開した。新規の顧客に会社並びに製品の数々を知ってもらうためのツールとして、さらにはリクルートの面でも会社をPRするツールとして、「ホームページで自社のポテンシャルを表現していきたい」と意気込む。


金沢発、金沢ブランドの活用
 これまで長年にわたって金沢で生産した食品の数々を全国に販売してきた同社だが、特に金沢にこだわった営業はやってこなかったようだ。パッケージにもそうしたアピールは全くしていないのが現状。
 その点について伺うと、「ナショナルブランドで安く大量に作る商品との差別化を明確にする上でも、地域の個性をアピールしていく上でも、これからは金沢を前面に出した取り組みが不可欠だと考えています。何よりも水質の良い白山水系の伏流水をくみ上げて製造過程で使用していることから、そうした商品のこだわりも積極的に売っていくことがこれからの重要なキーワードになると感じています。」と今後の課題として認識を新たにする。


トップとして
 「自分が考えたことをやってみることが出来るというおもしろみがある反面、思っていてもなかなかそこに到達できない難しさ、自らの力不足を感じる時は、経営者の大変さを実感しています。とはいえ、我々が製造した食品を美味しいと満足して食べていただけることが何よりの喜びであり、諦めず逃げずに挑戦し、高い目標に向かって邁進していくことで、峠を越えたところで目の前がパッと広がる瞬間があると思っています」と自らに言い聞かせるように語る藤原社長は、自分が行うべきことと、部下に任せる部分を明確にし、可能な限り任せる方向へシフトしていく考えだ。


創業100周年に向けて
 「まだ100周年までには20年近くありますが、基本的には大豆食品の持つ良さにこだわり、それ以上広げることはありません。事業規模の拡大よりも当社のお客様に喜んでいただける商品を提供し続け、商品の価値を分かっていただくことで、結果として当社の利益も増え、社員の働く環境も様変わりさせることができるかと思っています。HACCPやISOの認証を取得し、名実共に安全・安心な食品メーカーとしての地位を確立させるとともに、世界に認められるブランドとなる礎を築きたい。」とトップとしての舵取りにかける情熱がひしひしと伝わってくる。

商 号: 羽二重豆腐(株)
本 社: 金沢市西金沢2-162
創 業: 大正12年
設 立: 昭和28年
資本金: 4,000万円
従業員: 101名
年 商: 約28億円(16年)

<商い益々繁盛店>あめの俵屋(金沢市)

石川県産業創出支援機構(ISICO)では、石川県内で頑張っている繁盛店を取材し、商い益々繁盛店としてご紹介いたします。


石川県の繁盛店をご紹介!<商い益々繁盛店>
「あめの俵屋」~暖簾・味・信用を受け継いで・・・連綿176年

商い益々繁盛店「あめの俵屋」~暖簾・味・信用を受け継いで・・・連綿176年


 石川に数ある老舗の中でも、創業以来176年間、歴史と伝統ある暖簾を連綿と受け継ぎ、金沢土産として知る人ぞ知る「じろ飴」を製造販売しているのが、あめの俵屋である。
 白地の帆布に平仮名であめと書いたシンプルな暖簾が、金沢を訪れる観光客を引き寄せて止まない。その老舗の商いの秘訣を俵秀昭社長に伺った。


商いは牛の涎(よだれ)と心せよ
あめの俵屋 俵 秀昭社長 「商売を手伝い始めた20代の時も今も、たった布一枚に過ぎない暖簾ですが、その重みたるや、ずっしりと肩にのしかかっています。6代目としてこの重みから解放されたことは一日たりともありません」と俵社長はしみじみと語る。老舗として代々受け継がれてきた商いだけに、守成に対する使命感は並々ならぬものがある。
 「先代からバトンを受けた瞬間から、私の頭の中にあるのは守ることと次代につなげること。商売を大きくすることよりも守っていくことだけを念頭に置いて頑張ってきました。商売は牛の涎のようなもので、細く長く伝えていければと思っています」と暖簾を守る心意気を披瀝。


昔ながらの製法を堅持
 俵屋の飴づくりは、170年以上前の江戸時代と使用する道具類こそ変化しているものの、製法はほとんど変わっていない。
 前日に洗っておいた米を蒸し、蒸した米に粉砕した大麦を混ぜ、お湯と一緒に仕込むという至ってシンプルな作業である。しかしながら、何事もそうであるように簡単にみえるものほど奥が深く、ごまかしが効かない。実はとても難しいのである。そのため、原料である米、大麦を厳選することは言うに及ばず、その時の気候に合わせた温度、湿度、麦芽の混入量といった秘伝の製法を忠実に受け継ぎ、今でも大部分の工程は手作業で行われている。
 このご時世だけに機械化できないわけではないが、「飴を煮立てる際の櫂(かい)回しの手加減や、外気温に合わせて練り具合を決める最終の練り工程には職人的な経験と勘が不可欠で、こればかりは機械では無理なんです」と、手づくりの重要性を説く。


食の安全・安心を第一に
 人の口に入る食品を扱っているだけに、使用する道具類や作業する人の衛生管理には十分に配慮している。
原料の米は、地元石川産米が量的に確保できないことから、大部分は県外から仕入れた国内産の米を使用している。大麦についてはビールメーカーがカナダから輸入しているものを分けてもらっているだけに、安全性についてはメーカーのお墨付きを得ている。水は、かつては地下水を使用していたが、今は水道水を使用している。飴づくりは、お湯で仕込み、煮沸して煮立てることから、味への影響は全くないとのこと。


時代とともにアイテムも多様化
看板商品「じろ飴」「おこし飴」など 昔からの看板商品は「じろ飴」と「おこし飴」であるが、それだけではなかなか多様化する顧客のニーズに応えられないことから、さまざまな新商品を展開している。

 日本古来の飴だけに、加える素材も日本古来からあるものにこだわり、きなこ、抹茶、あずき、胡麻、生姜などをおこし飴に混ぜて練り上げた各種つぶ飴など、アイテムは十数種を数える。
 品揃えを充実することで、ギフトものが売れるようになり、相乗効果があがっている。とはいえ、やはりナチュラルな「じろ飴」が断トツの人気商品であることに変わりはない。あめの俵屋は、金沢を訪れる観光客の人気スポットとして定着しているだけに、商品開発においても観光客の視点でみたものづくり、観光客に向けた情報発信にも積極的に取り組んでいる。


あくまでも金沢にこだわる
あめの俵屋 店内 俵屋の店舗は、本店、長町店、金沢百番街店の金沢市内3店舗のみで、首都圏の百貨店などには出店していない。
 売上を伸ばすことを考えれば、自然の流れのように思うが、その点について俵社長は、「確かに東京・大阪の百貨店に出店すればそれなりの数字は上がるかもしれませんが、俵屋の飴は金沢で生まれ、金沢の風土に培われ、皆さんに育てていただいて今日がある。それを外に持ち出して商いをするよりも、『金沢に来たら俵屋の飴を食べまっし』と地元の方に言っていただけるように、『金沢のお土産に俵屋の飴を買って帰らなきゃ』と観光客の方に言っていただける存在になることが私の商いのポリシーです」とあくまでも金沢にこだわる。


接客は柔軟に
 「一人一人の嗜好や感性が異なるように、マニュアル通りにいかないのが接客だと思います。その時のお客様の様子を見ながら、言葉の掛け方、どんな対応をすれば喜んでいただけるか、社員が的確に判断し、対応できるように促しています。
 その基本には、自分たちはいい商品を作ってお客様にお届けしているという自負を持つことです。とはいえ天狗になるのではなく、常に謙虚な気持ちを忘れないようにと日々言い聞かせています。これは直接お客様に接する販売員だけでなく、配達や製造に携わるスタッフにも徹底させるように努めています」と臨機応変な接客を心掛けている。
 そうした観光客に好印象を持たれる接客ができれば、それがひいては金沢のイメージアップにもつながっていくだけに、「これからも金沢の顔として恥ずかしくない飴づくり、商いに邁進していきたい」と老舗の主の顔に。

 そんな俵屋の七代目を受け継ぐこととなる長男秀樹氏が目下製造現場で飴づくりの修業中である。
「飴づくりを知らずして後は継げない」が俵社長の持論であり、まずは飴づくりを身につけ、次に販売を学び、そして経営者としての帝王学を身につける。

 暖簾を伝承する節目に向けて、七代目の助走が始まっている。


あめの俵屋 店舗商 号: (株)俵屋
所在地: 金沢市小橋2-4
創 業: 天保元年
資本金: 1,800万円
従業員数: 20名
支 店: 長町店、金沢百番街店

<商い益々繁盛店>高岡製箔(金沢市)

石川県産業創出支援機構(ISICO)では、石川県内で頑張っている繁盛店を取材し、商い益々繁盛店としてご紹介いたします。

石川県の繁盛店をご紹介!<商い益々繁盛店>
「高岡製箔」~箔の街・金沢から金箔文化を全国に発信!!

商い益々繁盛店「高岡製箔」~箔の街・金沢から金箔文化を全国に発信!!

 日本で製造される金箔の99%(銀箔・洋箔は100%)が金沢で生産されていることは、地元の方ならご存知のことであろう。
 その金箔業界において、日光東照宮、西本願寺、など多くの国の重要文化財に、高品質の金箔を提供してきているのが、今回ご紹介する高岡製箔(株)である。同社の高岡昇社長に、金箔に託す熱き思いを語っていただいた。


製造卸から観光事業へ進出
黄金の茶室 金箔の製造卸からスタートした同社だが、平成2年に本店を新築する際に転機を迎える。
「当時は金箔業界の曲がり角でもあり、需要が少し下降線を辿り始めていました。ちょうどその頃『千利休生誕400年』という話題がテレビなどで報じられ、それを見た時に、黄金の茶室を造れば話題性があるのではないかと閃いたのです。

 それはお客様に見てもらうこともさることながら、職人が材料として製作した金箔がどのように使われているか、職人たちにも見せたかった。それが彼らの生き甲斐や後継者育成の糧にもなると考えたから・・」と振り返る。もちろんその時点では観光事業に活用することはほとんど頭になかったようだ。

 ところが店は年々進化していくもので、最初は1日に数人しか来店客がなかったのが、テレビや新聞などで黄金の茶室が紹介されると、タクシーが観光客を連れてくるようになり、やがて東インターを降りて兼六園に向かう観光バスが立ち寄るようになった。「お客様に店を育てていただき、当社もそれに対応すべく進化し続けてきました」と語るように、それまで金箔の素材を売ることしか眼中になかった同社が、そうした経緯で観光事業に目覚め始めたのである。「それに伴って自ら金箔の商品開発をしたくなってきた」とも述懐する。


東茶屋街で長年の思いを形に
銀の波箔座 観光客が金沢と聞いてイメージするのは「伝統文化」である。なおかつ芸妓の伝統芸能の世界もあるのは茶屋街だけ。その中でも金沢の観光スポットとして人気が高いのは東茶屋街である。そこに茶屋文化と金箔文化を融合させたコラボレーションを発信するショップを展開したいとの思いが年々強まっていた。

 そんな時、縁あって東茶屋街の入口に全国初のあぶらとり紙の小売り専門ショップをオープンすることができた。銀箔は金沢がシェア100%であったが、機械化が進み蒸着箔に取って代わられたことで、銀箔の職人が激減し、事実上消滅しかけていた。
 そこで数少ない銀箔職人の手技と銀にまつわる商品開発を現代の生活空間に発信するショップとして、茶屋街の裏通りにあった自社物件を改築し「銀の波箔座」としてオープンする。


純金プラチナ箔の開発に成功!
箔座ひかり蔵 今まで約400年の歴史の中で、同社が初めて開発に成功した合金箔がある。

 従来までの金箔は、金が94.438%、銀が4.901%、銅が0.661%という配合が一般的である。ただ、この合金では屋外のモニュメントなどには銀と銅が入っていることから使いづらい面があった。
 「ある時、某大学の先生から金とプラチナの合金開発にチャレンジすることを後押しされ、試行錯誤を繰り返しながら取り組んだ結果、純金プラチナ箔の製造に業界で初めて成功したのです。成功すると何かに使いたいと思うのが人情で、たまたまこの店には屋外に蔵があったので、これに純金99%、プラチナ1%の合金箔を外壁に、内部には24金の箔を張りつめた黄金の蔵を造り、それを一般の人や建築関係の人にも見てもらうべく、平成16年4月「箔座ひかり藏」をオープンしました」と力がこもる。

 ここでは、純金プラチナ箔をアクセサリー、バッグ、什器など日常的なものに施したドットシリーズの商品を展開し、金箔のさまざまな商品開発、用途開発、観光も含めた一つのゾーンを形成している。そう考えると、本店は黄金の茶室を見せて金箔の世界に入ってもらう拠点であり、「箔座ひかり藏」は顧客の要望に応じて、金箔の新しい素材を開発し、その発信拠点としての機能を持ったショップとして見事に差別化されている。


商品開発のポイント
 何が売れるか?その時々の社長の閃きや思いを形にするのが同社企画室のスタッフであり、社長とスタッフのコラボレーションから新商品が誕生している。「我が社の開発・製造した我が社のオリジナルなものを、我が社の店舗で販売することが私のポリシーです。当然のことながら作ってはみたものの全く売れずに没になる商品もあります。
 その年のブームは何で、何が求められるのか、いろんな環境条件があると思いますが、常に情報収集を怠らないよう努めています」。そう語る高岡社長の言葉の端々に、国の重要文化財などに最高品質の金箔を納めているメーカーとしての自負が感じられる。


箔座e-ショップ
あぶらとり紙 商品時代のニーズに即応すべくe-ショップを開設したところ、現在ではリピーター注文の7割はインターネットが占めるようになっているという。
そうしたことから今年度の重要課題としてホームページの充実を掲げ、新店舗を1つ立ち上げるぐらいの力を注ぐ考えだ。

 そのためには、あぶらとり紙単品だけでは弱いため、化粧品類のバリエーションの充実、それに関連した小物類の商品開発と課題はあるものの、あぶらとり紙からスタートした通販も、今は化粧品が仲間入りしている。
 今後は箔工芸品にまでその幅を広げ、新しい事業の柱に育てたいと目論んでいる。


金箔の商いを通して・・・
 「金沢を箔の街にしたい」これが高岡社長の大きな夢である。
「例えば、奇抜かもしれませんが、屋根瓦を金箔にし、金沢駅から武蔵にかけての通り沿いに金箔のモニュメントを並べる。それは従来の金箔ではできなかったが、当社が開発した純金プラチナ箔なら可能です」と胸を張る。それを独り占めせずに石川県箔商工業協同組合のメンバーにも販売する。

 海外とりわけ中国の金箔に対抗するためには特許取得が不可欠なことから現在特許を申請中。「当面は、神社仏閣で純金プラチナ箔を使用してもらい、その耐久性が口コミで広がっていけば、さまざまな建築関連物に展開できます。それによって金沢が豊かになれば、箔の街・金沢として後継者も含め、いろんな意味で好循環が生まれ、明るく元気な街につながります。

 金箔の生産は99%金沢なだけに箔の街・金沢の実現に向けて業界を挙げて邁進できる環境づくりに努めたい」と熱く語る。


今後の事業展開
高岡昇社長 金沢市内に関しては思い描いた店づくりが実現できたようだ。何と言っても金沢ブランドを世界に展開していくことが大きな夢。今は次女が常務として「箔座ひかり藏」店長と経営企画室長を兼務し社長をサポートしている。

 「若いうちはいろんなことに挑戦させていますが、失敗の連続ですよ。とにかく私の代のスタッフによく教えてもらい、ゆくゆくは自分の道を切り開いていってほしいと願っています。金箔の世界も大口需要が激減しているだけに、さまざまなものに展開できるよう用途開発・商品開発が重要です。
 さらに、あぶらとり紙のフランチャイズ展開や観光要素の強い店舗の多店舗化、卸先の大手の新規開拓といったこともこれからの課題です・・」と取材を結ぶ。

 屋外で金箔の良さを再認識してもらうこと、金箔の殺菌効果、活性酸素除去効果を応用した医薬品、食料品、化粧品は今後の研究開発次第では大きく化ける可能性が期待されるだけに、業界を挙げて箔の街・金沢の実現に向けて邁進していただきたい。


箔座本店商 号:高岡製箔(株)
所在地:金沢市森山1-30-4
代表者:代表取締役社長 高岡 昇
設 立:昭和28年10月
資本金:4,700万円
取扱品目:各種箔ならびに関連商品の製造・販売
店 舗:箔座本店、箔座ひかり藏、あぶらとり箔座、銀の波箔座、 箔座稽古処、佛華堂(金沢仏壇製造・販売)

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