商い益々繁盛店の最近のブログ記事

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<商い益々繁盛店>しら井(七尾市)

<商い益々繁盛店>しら井(金沢市)

石川県産業創出支援機構(ISICO)では、石川県内で頑張っている繁盛店を取材し、商い益々繁盛店としてご紹介いたします。

石川県の繁盛店をご紹介!<商い益々繁盛店>
「しら井」~負けない商い、本物指向で独自の顧客を開拓

商い益々繁盛店「しら井」~負けない商い、本物指向で独自の顧客を開拓

 北海道から日本各地に昆布・鰊(にしん)などの海産物を運んだ北前船交易における寄港地でもあった七尾港。その七尾・一本杉に、北海道産の天然昆布のみを商い、本物が分かる、本物志向の固定客の心をしっかりと掴み、負けない商いに徹する昆布海産物處「しら井」がある。食の安全・安心が叫ばれる今、その本物の商いが脚光を浴びている。
 昨年10月、満を持して金沢市東山に金沢店を出店した想いを白井修社長に伺った。


能登には能登の、金沢には金沢の・・
白井修社長。 白井社長が先代と共に仕事をするようになって間もなく、七尾一本杉通りにある本店を鉄筋のビルにし、七尾で恐らく最初の自動ドアまで完備した店を新築オープンさせた。
 「当時、私どもが師と仰いでいた東京のスーパー紀ノ国屋の増井会長(故人)さんが、能登旅行の折りに、新しくなった店に来て下さったのですが、外から建物だけ見て店内には一歩も入らずに『立派なビルですね』の一言だけで帰られてしまった。
 その姿を目の当たりにし、『いったい何がどうしたというのだろうか、商品も見ないで帰られてしまった』と自問自答する日々が続きました」と述懐する。

 その何故を解明すべく、夫人を伴って各地の知る人ぞ知る店を訪ね歩いて勉強を重ねた結果、能登には能登らしい建物の店が相応しいし、金沢には金沢らしい建物の店を造らないといけないという商いの原点に気付かされ、あの時増井会長が店に入らずに帰った理由を思い知ることとなる。そのことが商いに対する白井社長の考え方を一変させた。

 売れるモノを売るのではなく、自分たちが売りたいモノを売る商いが始まったのだ。


まずは七尾らしい店づくりから
 能登は能登らしい地元の材料を使って、地元の大工が建てた建物にしようと決意。
まず設計士を探すことから始めた。地元で名の通った何人かの設計士に相談するも、白井社長の心を理解してくれる人となかなか出会えず、半ば諦めかけていた。「それならせめて内装だけでも自分の思いを理解してくれる職人さんに頼みたいと探し回り、ようやく私の心を分かってくれる職人さんと出会うことができたのです。その人に設計士が見つからないことを話したところ、『すごい面白い男がいるから』と紹介されたのが、本店と金沢店を設計した高木さんだった」。

 まさに運命的な出会いである。それまでも一本杉通り商店街の仲間たちに、古い物の良さや魅力を機会あるごとに訴えていたが、なかなか賛同を得られないでいただけに、モデル店舗を自ら造って範を示したいとの熱い想いを高木氏に語り、その白井社長の想いが形になったのが七尾の店であり、しら井にとって文字通りの本(物の)店が完成した。


金沢に昆布文化を広めたい・・
北海道産の昆布が整然と並ぶ七尾では先代のおかげで、しら井の商品が真面目な商品であることを誰もが分かっているから何も宣伝しなくていい。
 「金沢の場合は、しら井が何を売っている店なのかもご存知でない人が大部分なだけに、一つ一つ説明することから始めなければなりません。それならいっそのことうちの昆布を使った食事を召し上がっていただいた方が手っ取り早いと考え、二階に食事ができるスペースを設けたんですよ・・・」。金沢に店を構えるにあたり、商売もさることながら、金沢に昆布文化を広めたい、しら井のファンを増やしたいとの白井社長の熱い想いがひしひしと伝わってくる。

 金沢に七尾から出てきていきなり商売になるとは元より考えていない。観光バスの駐車場が隣りにできたため、土産物屋と勘違いされかねない立地になったことは誤算となった。しかし、本物の昆布を扱う店として知る人ぞ知る店だけに、時間はかかるかもしれないが、本物の良さは口コミで着実に広まっていくことは想像に難くない。


海藻おしばギャラリーが店に潤いをプラス
ギャラリー「海の森」 遡ること3年前、しら井の七尾本店が紹介されていた雑誌に、たまたま海藻おしばアートの作家として知られる静岡県伊豆市在住の野田三千代さんのことが紹介されていた。そこに載っていた海藻おしばの作品の写真を見た瞬間、白井社長は『これだっ!』と一目惚れしたという。

 海産物を扱う店として何かコラボレーションできないものかと手紙を出したことが縁で、小さなスペースではあるが、野田さんの作品を常時展示即売するギャラリー「海の森」が金沢店の2階に誕生した。
 海藻をおしばにするとこんなにも美しいアートになるのかと感動すること請け合いの素晴らしい作品の数々が目を引く。能登の海で実際に採取したスギモク、アミクサ、フダラクなど額装された作品やアクリル樹脂で封入したサンゴ藻など50点を越える作品が展示されている。

 将来的には、野田さんを講師に招いての海藻おしば教室を開く構想も温めている。


近所に愛されることが商いの秘訣
 「金沢の店は、金沢のお客さんの考え方をまず知らないといけない。と同時にしら井はこんな商品を扱うこんな店なんだということを金沢の人たちに知っていただく努力をしていかなければなりません。
とにかく口コミに勝る宣伝はないと思っています。七尾本店は親子三代あるいは二代にわたってのお得意さんが6割を占めているとはいえ、金沢の店がそうなるにはまだまだ永い年月がかかります」と長い目で捉えている。

 そのためにまず白井社長が心掛けているのは、近所づきあいによるコミュニケーションでの交流だ。とりわけ、隣りには東山を代表する老舗の米沢茶店がある。「米沢社長さんが自分の店に来たお客さんたちに『隣りに昆布屋さんができたから行ってあげて』と紹介して下さり、それでうちへ来ていただくお客さんも多く、ありがたいことだと感謝しています。逆に言うと老舗の米沢さんに紹介していただいてご迷惑がかからないような商いをしていかないといけない」と背筋を伸ばす。


負けない商いで地道に歩む
 「親父が古くさい商売を遺してくれたおかげで、こんな商いのやり方が通用するのであって、普通の商売をうちのスピードでやっていたら潰れるでしょう。この商品のおかげで自分のスピードで商売できることに家内共々感謝しています。
 私が目標とするのは東山に米沢茶店ありと言われるように、その地域の重石になるような店に育てていくことです。子供の代への種蒔きみたいな想いも強く、この店が東山の地域に真に溶け込むのは私の代ではなく、子供たちの代だろうと思います。そんなサイクルで物事を考えていきたい」とゆったりと語る白井社長の想いを伺っていると、ここだけは静かにゆっくりと時が流れ、まるで海中散歩をしているかのような錯覚さえ覚えた。

しら井金沢店外観商 号 (株)しら井
本 店    七尾市一本杉町100番地
設 立    昭和60年(創業昭和6年)
資本金 1,000万円
従業員数 16名(うちパート6名)
金沢店   金沢市東山3-2-18

<商い益々繁盛店>柴舟小出(金沢市)

石川県産業創出支援機構(ISICO)では、石川県内で頑張っている繁盛店を取材し、商い益々繁盛店としてご紹介いたします。

石川県の繁盛店をご紹介!<商い益々繁盛店>
 「柴舟小出」~金沢のお菓子はいいですね。

<商い益々繁盛店>「柴舟小出」~金沢のお菓子はいいですね。

金沢のお菓子はいいですね。このキャッチフレーズとともにファン層を着実に増やしている和菓子メーカーが金沢市・横川に本社を置く柴舟小出である。この言葉に託された同社の経営戦略を小出進社長に伺った。


あゆみ
 大正6年、小出社長の祖父がせんべい屋を営んだのが商いの原点である。
つまり今年88年目を迎える。昭和23年、祖父が他界し、先代がその後を継ぐ。先代は、旧来の柴舟に創意工夫を重ね、金沢を代表する銘菓の一つに作り上げる。小出社長が工場へ入った当初の頃は、なんと洋菓子と和菓子を野町の店で半々に並べていた時期もあり、クリスマスにはクリスマスケーキを2000個あまり販売したという。

 そんなある日、先代とこれからの店のありようを話し合う中で、「やはり和菓子屋を目指そう」との結論に達し、今日の柴舟小出のスタイルが確立した。


先代から受け継がれるモラロジーの教え
(株)芝舟小出 小出進社長 会社は、個人のものではなく公のものとの考え方に立って経営することが大切であり、これを自分のものと思うと我欲が出て儲けることが先に立ってしまう。適正な利潤の確保は事業を支えていくには必要なものであるが、その前に、世の中に役に立つ会社になるにはどうすればいいか、これが同社の会社経営の大前提にある。

 「大勢にはよきものと悪しきものあり、大勢に逆らうものは滅び、順応するものも滅ぶ、順応しつつ真理を守るものは残る。」との教えがあり、真理つまり生成発展の法則を認めつつ、智恵を出し、創造して行くことが大切と教えられている。

「金沢のお菓子はいいですね」というキャッチフレーズは先代が作ったものだが、わが社を含め金沢にあるお菓子屋さんが、より美味しいお菓子を作ることで金沢の評価が高まり、金沢が名実共に菓子処金沢として評価される、そのことに努力していこうという意味が含まれており、最初に柴舟小出ありきではない。


菓子作りのこだわり・・・地産・地消のさきがけ
 よい原料を選び、その材料の持っている特性を引き出すこと。徹底的にいい原料を求めて常にアンテナを巡らせている。そうした日々の取り組みの中から、地の物でいいものがあれば積極的に使うようにしている。

 最近でこそ地産・地消という言葉をよく耳にするようになったが、実は同社ではそのはるか以前から、加賀丸芋を上用饅頭の原料として使っている。その頃は地産・地消という言葉すらなかった時代。丸芋の場合は、ドライフリージングをかけて粉にしたものは上用饅頭に用い、生のものは上生菓子の練りきりや山野草のかるかんに使っている。
 その次に取り組んだのが能登の大納言である。丹波の大納言や北海道の大納言と比較すると味は少し薄いものの、その持ち味を活かした菓子づくりを模索し、今では100袋あまりの量をコンスタントに仕入れているという。
最近では、マスコミ等で盛んに取り上げられた金時草粉末の食品への応用を県と共同研究し、金時草の粉末を混ぜた餅を開発しており、意欲的に取り組んでいる。もちろんこうした地の材料を使って菓子に仕上げるには、涙ぐましい努力の繰り返しと失敗の連続の中から商品が生まれている。

 今、金時草粉末の新しい用途として、洋菓子のケーキに応用できないか試行錯誤を重ねているところで、近日中に和風シフォンケーキとして店頭に並ぶかも知れない。


新商品開発は日々の命題!?
 「お客様に喜んでいただけるように、お店に来て楽しんでいただけるよう、そんな思いから次々と新商品を創り出すことが、ある意味、わが社の宿命のように感じている。より美味しいものを、更にもっといいお菓子を、との思いがついつい強くなる」と言う。

 看板商品である柴舟は戦後ずっと変わることはないが、その周辺商品については、常に変化させていきたいという。常に新商品を創り出すのも至難の業と思えるが、「お菓子のベースは変わらないわけで、あとは材料をどう組み合わせるか、それだけのこと」と淡々と語る。
 例えば、季節的なものでは、日本古来の節句に因んだ伝統的なものをお菓子に置き換えるとどうなるか、春の七草をお菓子でどう表現するか、またそうした日本の昔からの風習を子供たちにどう伝えていけるかとの思いから節句菓子を創り販売している、まだまだ認知されていないがいつかきっと話題となると考える。
日々に作る生菓子がいつしか評判になり、そして進物用として箱詰めされてギフト商品となった。ついついたくさん売りたいために、どうしてもギフト中心の品揃えになりやすい、売り手は日々の生菓子に意を尽くすことを忘れがちになる。ギフト商品であっても原点は忘れてはならないと思う。

 最近は、特にお客側もありきたりのお仕着せの詰め合わせではなく、自分の贈りたい物を詰め合わせて自分流のギフトにしたいという欲求が強く、そうした要望にも早くから対応している。


接客・社員教育にも力を注ぐ
 「感動を与えようとしてもなかなか出来るものではない。先ずはお客様に喜んでいただくことが販売員の最も重要な仕事」と小出社長は強調する。

 いつもやっていることが、それでいいということはない、目指すはホテルのコンセルジュのような応対、そのレベルになるまでには、様々なことを知っていなければならず、お客のあらゆる要望に応えられるまでにレベルを向上させるべく日々邁進している。
 同社の正社員は約100名、パートは約30名、その中で直接販売に携わる店頭のスタッフに対しては定期的に社員研修を開催している。今は次の時代を担う若手社員を中心に力を入れているとのこと。


全日空の機内茶菓に採用される
芝舟小出の菓子が、全日空の機内茶菓に採用された。 柴舟小出の菓子がANAで採用昭和50年代に柴舟が全日空の機内茶菓に三か月ほど使われたことがあった。
ただ、今回の機内茶菓への採用にあたっては、そうした経緯を全く知らない全日空の客室担当者から「機内で提供するお菓子を探しているのですが、協力してもらえますか」と電話があったという。

 後日同社を訪れた「地方色を出せるものをやりたい」という担当者の要望を受け、社内にプロジェクトチームを立ち上げ、何を詰め合わせればいいか、金沢らしさ、楽しさをどう表現すればよいかをポイントに検討し、写真のようなパッケージに仕上げた。

 10月末から2週間と来年2月に2週間、国内線の全スーパーシートで提供され、約2万箱が出荷される予定である。同社のPRはもちろんのこと、金沢の菓子文化の奥深さを全国の人に発信する大きなチャンスでもあり、「こんな形で貢献できることは大変嬉しいことで、さらに頑張りたい」と力を込める。


お客様会員くらぶ「此の木倶楽部」
毎月一回、8月・12月を除く最終日曜日に横川本店と駅西店に訪れた会員顧客に対して、抹茶とその日限定の季節の創作菓子でおもてなしをしている。
また、ポイントが500ポイント貯まると500円分のお菓子と交換でき、1000ポイント以上でお菓子教室や各種イベントへの参加特典がもらえ、2000ポイント以上貯めると誕生日にオリジナルのお菓子がプレゼントされる。
此の木倶楽部の現在の会員数は約10,000名あまり、小出ファンのネットワークを活用することで、いろんな可能性が考えられ、さらに広げて様々な活動を展開したいと目論んでいる。


野町本店を新築し、来年1月オープン予定!
 前面が木目のコンクリート打ちっ放しで、中庭があり、暖簾をくぐって中に入って行くと、奥まったところに店舗がある、従来と違った店の造り、これが新しい野町本店である。店の中には畳の部屋を配し、中庭を眺めながらお茶を飲むことも出来る。
 奥には小さなギャラリーコーナーもできる。店舗の幅が狭いことから、従来のような対面接客ではなく、お客が自由にケースの周りを回遊する形の店になる。売ろうとする店ではなく、訪ねてきてもらう店がコンセプト。
 将来的には2階部分を活用することも視野に入れている。「入りにくい店は絶対駄目」と言い続けた先代のタブーに敢えて挑戦する小出社長の新たな試みが形として現れる。


金沢ブランド構築の一翼を担う・・・
柴舟小出本店の店内 柴舟ブランドを永遠に継承していく姿勢に変わりはない。
「金沢のブランド力を高めていくためには、我々の業界で言えば、金沢の個々の菓子のレベルを高めていかないと金沢全体の菓子のレベルが上がらない。次の時代がどんな時代になるのかは分からないが、専門化・特化させた強い部分を持ちながら、お客様にどう評価していただけるのか、その意味で今あらゆる面で整理しながら次の時代に向けての基盤づくりに努めているところ・・」と熱く語る。

 北陸新幹線開通も大きなチャンスになる。同社は、100周年に向けて、企業体質の強化、人づくりに力を入れ、世の中の流れの中での金沢の位置づけ、金沢における柴舟小出の位置づけがどうなっていくか、そうした先を見据えながら日々邁進する柴舟小出が金沢にある。


商 号 (株)柴舟小出
創 業    大正6年
設 立: 昭和25年 有限会社設立
      昭和60年 株式会社設立
資本金   4,500万円
従業員数   98名(パート含まず)

<商い益々繁盛店>鏑木商舗(金沢市)

<商い益々繁盛店>鏑木商舗(金沢市)

石川県産業創出支援機構(ISICO)では、石川県内で頑張っている繁盛店を取材し、商い益々繁盛店としてご紹介いたします。

石川県の繁盛店をご紹介!<商い益々繁盛店>
「鏑木商舗」~武家屋敷から金沢九谷を世界に発信!!

<商い益々繁盛店>武家屋敷から金沢九谷を世界に発信!! 鏑木商舗

加賀藩が栄えた江戸時代から金沢には様々な伝統工芸が息づき、今日まで継承されている。
そんな金沢を代表する伝統工芸である金沢九谷の老舗として、184年の暖簾を守る鏑木商舗が、昨年、長年親しまれてきた武蔵から長町・武家屋敷に本店を移転して新たなスタートを切った。その想いを当店8代目店主鏑木基由氏に伺った。


鏑木商舗本店は武家屋敷へ
8代目店主鏑木基由氏鏑木社長が20歳の時に先代が他界したため、東京の大学に在学中、金沢と東京を往復した。
金沢にいる時は店主、東京にいる時は学生と同時に全国の百貨店で開催される物産展などの催事担当者として飛び回っていた。当時を振り返り、「20歳そこそこの人間に九谷焼を売ることは至難の業で、そんな時に自分は8代目としてどうやっていこうかと考えていました。
27歳から青年会議所に入り、青年会議所30周年の年にアートアンドサイエンスポリス構想、35周年の時に新金沢物語の提言に携わり、古い街、アート、文化が融合する金沢について勉強させてもらいました。
そんな経験を経て8代目としてどんな商いをするのかを自分なりに考え、看板がある限り半永久的に続く個人商店であるべきとの結論に達したのです。

その時、自分の理想とする本店は、九谷焼の器で料理を提供する飲食スペース、郷土館、焼物資料館、美術館、フォトスタジオ、日本庭園、工房などであった。遡ること19年前に自分なりの本店の青写真を確立して以来、その想いを実現できる場所をずっと探し求めてきて、昨年ようやく理想の空間に巡り会えたんですよ」と満面の笑みで語る。
将来的には「武家屋敷でゆったりと商売していることを東京の方に知ってもらうと同時に、東京からのお客さんに泊まってもらえるような施設も整備したい」と夢は膨らむ。


●鏑木氏が描く事業展開
まず金沢で足場を作ることが第一。次に東京に出店し、フランスに出て、ニューヨークに出るという構想だ。これまでも東京からいろんな話があったようだが、ずっと金沢に納得できる本店を構えることにこだわっていた。
「一昨年、東京・麻布十番の物件の話が舞い込み、見に行ったところ様々な好条件が重なった。自分の中では金沢の本店を移転してから東京に出るつもりだったが、順序が逆になったものの東京にまず鏑木分店を出店することに決めた。いざ、東京に出してみると、その瞬間からフランスやニューヨーク出店の話が飛び込むようになり、自分が動いたことで全ての話も動き出したような感がある。計画していた順番とは異なるが、結果的には自分の思い通りに進んできている。
フランスも今年1月には開設できる予定で、ニューヨークは松井秀喜がいる間になんとか開設したいと思っている」と夢がことごとく実現に向けて動き始めている。


九谷焼は日本の伝統工芸
鏑木商舗内美術館東京に店を持ったことで、「九谷焼は石川の伝統工芸ではなく、日本の伝統工芸なんだということを実感した」と言う。その想いが一層強くなったことで、金沢の本店が繁華街にある必要は全くなくなり、麻布十番の鏑木が武家屋敷の中に本店を構え、来てもらうだけでゆったりと金沢を感じてもらえる店であればいい。つまりナンバーワンではなくオンリーワンでありたいとの考えに行き着いた。

「九谷焼で食事ができ、美術館も無料で開放し、8代目として9代目にあたる息子や娘たちにこんな店舗だけどおまえたち継ぐ気はあるかと言える店舗をつくりたかった。180年続いている鏑木を通して、頑張ってくれている作家や問屋の人たちと共生していきたいと思っている」と現在の心境を語っている。


東京の人脈はホームパーティーが縁
おいしいいっぷく鏑木カウンター東京の鏑木分店では、月に2回ほど、鏑木氏が金沢から食材とお酒を持参し、東京の顧客を招待してホームパーティーを行っている。
飲食店ではないが器と料理は大切な関係にあるからだ。もちろん会費は取らない。例えば、冬だと甘エビとガス海老を50匹ずつ大皿に山盛りに出す。「それだけで東京の人たちは高級料亭に行ったぐらい感激してくれるんです。
そこにはヒルズ族や文化人、医療関係者、雑誌社の方たちと、とにかく様々な職業の人たちが友人を誘って来てくれる。次は誰々を連れてくるからと楽しみにしてくれている。そんな紹介による人の輪がどんどん広がって、短期間で思いもよらぬすごい人脈ができあがり、それがまた商売の面でも大いにプラスに作用し、フランス出店の話まで発展したんですよ」と鏑木氏自身が想定していた以上の出店効果に驚いている。

同店にとってこの店は、もはやアンテナショップではなく東京本店として機能しているのだ。


創業185年、自身50歳を機に
20歳の時から先代の代わりに組合をはじめとした公職の世話役をこなしてきた鏑木氏は、自身公職は50歳定年制を決めており、50歳になったら全ての公職を辞めて店主に専念する考えだ。
できれば店主と並行して金沢に残る稀少伝統工芸である和傘職人や下駄職人に弟子入りしたいとも考えている。商売の面では、「今頑張っている20代の職人たちと団塊の世代のベテランの職人さんたちが一緒になって、色絵の基本から勉強し直し、金沢独特の金沢九谷の伝統の技を継承し、後世に残る作品を創出できる職人を育てていきたい」と熱っぽく語る。

180年続いてきた鏑木の周りに集まってくれた人たちで何かやりたいとの想いがひしひしと伝わってくる。
「全国に散らばっている金沢九谷の保存や技術研究、職人を育成するNPO法人・金沢九谷倶楽部を立ち上げたところですが、自分としては47歳までが修業期間で、今やっと一歩踏み出し後継ぎになれたような気がしている」と感慨深げ。


金沢九谷を世界へ
東京に店を出したことで一つ肩の荷が下り、金沢に自らの理想とする本店を構えられたことで、次なるステップは、「どうしたらみんなが喜んでくれて九谷焼を残していくか。今年の東京・鏑木の売上目標を昨年の10倍に設定してきました。スタッフがそんなの無理だと言うから、無理じゃない、黙ってこの店舗を楽しめばいいんだと言ってきました。東京の店舗では入ってきたお客さんに金沢のお菓子とお茶をお出ししています。そうすると皆さんが『買いに来たんじゃないので』と遠慮されます。その時スタッフに『広告するお金はないのですが、皆さんにお菓子をお出しするぐらいのことはできます。ただ、麻布十番に鏑木という九谷焼の店があったと口コミで宣伝して下さいね』とお願いするように言ってあります。そんなお客様の紹介によるご縁で大きな仕事が飛び込んでくることもあるのです」
と損して得取る商いに徹す。

184年の暖簾を受け継ぐ鏑木商舗が、この長町・武家屋敷に移転し、これから1年後、5年後、10年後、20年後・・・、どんなふうに息づいていくのか大いに楽しみである。


鏑木商舗商 号 鏑木商舗
本 店 金沢市長町1-3-16
創 業 1,822年
従業員数 10名

石川県産業創出支援機構(ISICO)では、石川県内で頑張っている繁盛店を取材し、商い益々繁盛店としてご紹介いたします。

石川県の繁盛店をご紹介!<商い益々繁盛店>
「(株)エムアンドケイ」~寿司文化を世界に発信すべく日々邁進!

<商い益々繁盛店>寿司文化を世界に発信すべく日々邁進!(株)エムアンドケイ

金沢は全国でも屈指の回転寿司の激戦区である。数ある回転寿司店のなかでもとりわけ独創的な商いでファン客を増やし、金沢だけでなく東京・名古屋にも店を構えるまでに成長しているのが「金沢まいもん寿司」を幅広く展開している(株)エムアンドケイである。
後発組でありながら生き馬の目を抜く激戦を勝ち抜いて今日の地位を築いた木下孝治社長の商魂に迫る。


和を前面に本物志向で差別化を図る
店内へのアプローチ木下社長が5年前に金沢まいもん寿司一号店を出店した当時、回転寿司がファミリーレストラン化していた中で、あえて本来の寿司屋のあるべき姿である和のコンセプトに徹した差別化戦略を打ち出した。

その戦略が金沢の顧客に受け入れられたことに刺激を受けた同業他社も追随するようになってきている。ネタについては、毎日金沢港まで各店舗の店長が足を運んで鮮度のいい美味しい魚を選んでいる。食材には絶対の自信があるだけに、その日仕入れた魚をその日に売り切る意気込みで商いをしている。

昨今は中国、東南アジアで加工した食材を使っている店舗もあるが、同社は安心・安全の観点から冷凍ものは一切使っていない。
「当社だけでなく、金沢市内の同業者がレベルの高い商いをすることで、観光客から金沢の回転寿司は一味も二味も違うという評価をいただければ、それが地域の発展にもつながっていく。他店に勝った負けたとレベルの低いことを考えるな」。これが社員に対する木下社長の口癖である。


人が育てば業績は後からついてくる
木下孝治社長<br />
ハード面ではどこの店舗も大差がない。それだけにどこで差別化するか、それは他店舗にない接客である。「当たり前のことを当たり前に実践する」これを社員教育で徹底している。

整理整頓、挨拶、言葉遣いといった基本的なことができるまで徹底的に仕込んでいく。
「どんな人でも本気になって教えたら変わるものです。自分たちの職場を通して立派な日本人をつくることは、ひいては国に対しての奉公にもなる。さらには日本の文化を海外に知らしめていこうとの志で邁進している。」木下社長は、社員に対しても日々熱く語っている。会社はその意味で人間形成の木下道場とも言えるようだ。

そうした人が育ったことと本物を提供する商いが客を呼び、駅西店は五期連続で増収増益を続けている。「自分たちが頑張って努力したことが数字に表れてきている。社員たちの自覚も目の輝きも違ってきていますよ」と胸を張る。もちろん経営者も襟を正さないといけないが、きちんとした社員教育を徹底することで従業員の定着率も上がり、いい社員が育ってくるといい社員が入ってくるという好循環が生まれる。顧客からのクレーム処理においてもマニュアルを超えた対応ができるようになるのだ。


一つ目の夢・・・国際寿司大学の創設
人づくり、とりわけ職人を育てることの大変さは身をもって経験したことから、寿司職人を育てる国際寿司大学を創設し、寿司職人を世界に送り出すことが木下社長の永年の夢であった。その夢が国内はもとよりサンフランシスコやシアトルの知人の協力もあって実現に向けて今、前進している。

これは自社のためではなく、業界全体のレベルアップに貢献したいとの熱い思いがそうさせていると言っても過言ではない。「マーケットを世界で見ればいいのだから一人勝ちしようなどと小さなことは考える必要はない。同業者が一丸となって金沢、石川の回転寿司のレベルアップに邁進することで、結果としてみんなが潤うことになる」。職人の確保がこの商売で最も苦労する部分であり、国際寿司大学が創設されれば、人材育成に大部分の時間を費やした従来までの飲食業界が大きく様変わりする可能性さえ秘めている。


東京・名古屋の百貨店にも出店
東京は玉川高島屋、名古屋は名古屋三越に寿司店を出店している。
金沢の伝統工芸である金箔をふんだんに用い、赤・黒・金色をベースにした豪華な店づくりが評判を呼び、連日大盛況である。鮮度のいい寿司を提供すると同時に金沢の伝統文化も発信したいとの木下社長の想いが詰まった店舗でもある。
「名古屋三越にはテナントが314店舗入っているが、昨年半年かけてホスピタリティーの覆面調査が入り、錚々たる名店が数ある中で新参者のうちの店がナンバーワンに選ばれたのが本当に嬉しかった」と顔を綻ばす。


食へのこだわり
店内全景「自分の家族に食べさせたくないものは一切出すな」これが木下社長の食材に対するポリシーである。
儲かるために何でもする、わからなければ偽物でごまかすといった発想はご法度である。自分が食べたい場所、自分が行きたい店舗、自分が食べたい寿司・・と連想していけば絶対繁盛する。同社の社員は朝早くから夜遅くまで働いてなかなか休みも取れない。そのような状況で、ようやく1か月ぶりに取れた休日でも家族と一緒に自分の働いている店舗に寿司を食べに来る従業員が多い。それはどんな食材を使っているかを彼らが一番よく知っているからだ。


二つ目の夢・・・食文化の殿堂を金沢に
世界中の食をテーマに、歴史的な資料や現在の食文化を全般的に展示し、世界の食のライブラリー資料館を金沢に創設する。
未来に向けての食の研究および開発に寄与していきたいというのが、国際寿司大学と並ぶもう一つの木下社長の大きな夢である。例えば中国4千年の資料を集めるだけでも膨大なエネルギーと時間を要する作業になる。それを世界という括りにするともっと奥深い。そうした集大成は世界中どこにもない。それを金沢の地で実現したいと考えている。「広坂の旧県庁舎にレストランをという話が出ているが、私は12か月のレンタルレストランをやって世界の料理で競い合えばいいと思っている。食というキーワードで世界中から人を集め、さまざまなテーマでのシンポジウムも開催できる。そうした意味で金沢において食をとことん極めた世界一のものをやるべきだ」と熱く語る。

食が集まれば、九谷焼、輪島塗、金箔、山中漆器といった石川の伝統工芸のコラボレーションも可能になり、地域全体が活性化することにつながっていく。これを市民運動にして気運を盛り上げていくべく邁進している。


さらなる夢
5年から10年の間に、国際寿司大学で学んだ職人たちがそれぞれに店舗を持ち、全世界100か所に寿司の店舗を展開することが大きな目標である。「世界を変えられる一握りである0.1パーセントのトップの意識が変われば世界は変わる。事業を通じて富裕層の人的ネットワークを構築していくことで、人類が共生できる新しい社会を作ってみたい」。

日々わくわくしながら子々孫々が繁栄するための社会を残していくことが自らの仕事と肝に銘じ、社員と共に夢に向かって邁進する情熱集団を形成している。
「白山に登るのか、富士山に登るのか、それともエベレストに登るのか、どうせ登るのならエベレストに登ろうと言っている。エベレストに登ることは至難の業であるが、それだけの能力とノウハウを身につけることは凡人では出来ない。我々は今は麓にいるかもしれないが、常に一流を目指して、これでいいという世界はやめておこうと社員に言い聞かせている。

休み時間も惜しんで頑張ってくれている社員たちのおかげで今日までやってくることができた。これを乗り超えた時に彼らにしっかりと還元したいと思っている」と目を潤ませて「感謝しかない」と誇れる集団を自画自賛する木下社長の事業に賭ける意気込みは留まるところを知らない。


商 号: (株)エムアンドケイ
本 社: 金沢市八日市3-604
設 立: 平成11年4月
資本金: 4,000万円
年 商: 20億円
従業員数: 300名(うちパート250名)
店舗数: 9店舗

<商い益々繁盛店>「(株)エイム」(金沢市)

石川県産業創出支援機構(ISICO)では、石川県内で頑張っている繁盛店を取材し、商い益々繁盛店としてご紹介いたします。

石川県の繁盛店をご紹介!<商い益々繁盛店>
「(株)エイム」~スポーツ&メディカルクラブの先駆者

石川県の繁盛店をご紹介!<商い益々繁盛店>スポーツ&メディカルクラブの先駆者「(株)エイム」


世の中にフィットネスクラブが登場して間もない昭和63年、スポーツ&メディカルクラブ エイム21(石川郡野々市町)が産声を上げた。
以来、着実に会員数を増やし、平成13年には2店舗目のエイムムーンフォートを金沢市戸水に、さらに昨年、3店舗目となるエイムスカイシップを金沢市田上に開設。北陸はもとより全国のフィットネス業界のリーディングカンパニーが今回ご紹介する(株)エイムである。吉田正弘社長に事業にかける熱き想いを伺った。


健康産業人として覚醒
(株)エイムの吉田正弘社長。 吉田社長が32年間の銀行勤務を経て、独立起業に向け準備を進めていた昭和62年当時、その頃から萌芽し始めていた新しい産業であるフィットネス業界に大きな可能性を予見した。
 日本人の平均寿命が世界でも一、二を争う長寿国となってきた時代背景もあり、「健康で長生きすることをお手伝いすることにやり甲斐と使命感すら感じた」と運命的な出会いを強調する。

 とはいえ、フィットネス産業は未知の分野であり、産業自体が草創期であったことから、先発組といえどもノウハウが確立されるまでには至っていなかった。それぞれの企業が試行錯誤しながら方向性を模索している段階だった。やむなく自ら猛勉強をして独自のノウハウとシステムを作り上げ、今では同業者から一目置かれる存在にまでなっている。

 フィットネス産業は、初期投資額の大きい施設提供型の産業であることから、現在でも全国に2000あまりあるクラブの内、大手企業4社が約40パーセントで、大手企業4社の関連クラブは90パーセント以上を占める。そんな中、親会社を持たず自力でここまでに成長したクラブは異色の存在だ。
 それだけに、軌道に乗るまでの苦労は言葉に表現しがたいものがあったに違いないが、それを成し得ることができたのは、持ち前のハングリー精神と弛まぬ努力に他ならない。


施設そのものが商品
エイム内、エクササイズ風景。 フィットネスクラブの役割を「メンバーの皆さんにいい時間を過ごしていただくことが基本」と吉田社長は説く。
顧客がフィットネスクラブを選択する基準として、(1)利便性(2)価格(3)施設(4)接客サービス(5)ジムのプログラムや指導方法などの要素が考えられる。運営する側からすれば、施設を商品として提供している産業だけに、施設の充実にはとりわけ力を注いできている。

 同社の場合は、廣瀬設計の廣瀬氏(故人)、空間プロデューサーの梅沢氏、吉田社長の3人の見事なコラボレーションで既存の3施設が誕生している。
 「夢を追う梅沢さんと機能性を追う私、それを廣瀬さんが具体的な形にして下さった。お互いの葛藤の中で全ての空間ができあがり、その箱にちょうどいいだけの人を集めるべく、魅力ある施設づくりに腐心してきました」と胸を張る。


メディカル領域との融合がテーマ
 吉田社長が「スポーツ&メディカルクラブ エイム21」と名付けた真意は、限りなくレジャーに近い施設ではなく、できれば医学の業界と提携してメディカルの領域まで踏み込んだサービスを提供できるクラブを目指したいとの熱い想いが込められている。

 平成12年、業界の全国組織である社団法人日本フィットネス産業協会の理事に、地方企業の中から吉田社長が初めて選ばれた。地方のフィットネスクラブの活性化を促すべく全国を飛び回って汗を流した経験を通じ、創業時より温めてきたその想いをより一層強くしたという。
 そうした功績もあって、平成14年には大手4社以外の地方企業の中から初の同協会副会長が誕生し、2年間全国の業界の振興発展に尽力した。


接客の要は「思いやりの精神」
 「とにかく根気よく同じ事を何回でも分かるまで言い聞かせるしかない」と吉田社長は若手社員の教育に心を砕く。その基本的な接客術のポイントを細かく書き綴った手帳を社員に必携させている。そうした一連の接客において、吉田社長が最も大切にしているのは「思いやりの精神」である。
 若いスタッフたちに「常に相手を思いやる気持ちを持って仕事をしなさい。思いやりがあるといい仕事になる」と言い聞かせる。社員教育に関しては、新入社員に基礎的な教育を専門に行う教育ディレクターまで配置する力の入れようだ。

 そうした努力の結果、各施設のサービスに満足した会員の口コミで新たな会員が増え、新規施設のオープンにあたっても、開業前に採算ベースを超える会員数を確保できる原動力となっている。


インストラクターの養成が急務
 クラブ運営にとって、施設の次に重要なポイントは優秀なインストラクターの確保である。そうした養成機関は、北陸3県では同社しかなく、会員数の増大に対してインストラクターの需給バランスが崩れてきていることから、インストラクターの経費が上昇してきている。
 この経費を下げるためには、フリーのインストラクターをたくさん育てて供給していかないと、このバランスが取れない状況に直面している。こうした人材養成機関としての役割を担うことも同社にとって重要な仕事の柱である。
 毎年1回、全国から有名なインストラクターの講師を招いてのフィットネスセッションを開催し、インストラクターのレベルアップはもちろんのこと、これからインストラクターを目指す人たちにも夢を与えられる環境づくりを心掛けている。


健康行政の一翼を担う企業を志向
 最終目標として、国が進める健康行政を支えられる企業として社会的に認識されるよう運営の充実に努めることを掲げている。

 その意味で、メディカルとフィットネスの連携を密にした事業展開がこれから目指すところであり、現在はそのための先行投資を積極的に推進している。生活習慣病の一つ手前の段階であるメタボリックシンドロームの分野では、エイムスカイシップにおいて、金沢大学医学部心臓血管外科の大竹・木村両医師のご協力の下、6ケ月かけて会員からデータを収集し、最終的にはメタボリックシンドロームの生活習慣病への移行を阻止するため、プログラムの構築に取り組んでいる。

 また、生活習慣病に関しては、厚生連高岡病院の鳥畠医師が、同社のメディカルディレクターとして、1,000名あまりのデータを収集した中から、運動によって改善が見込まれる生活習慣病予備軍の百数十名をピックアップし、月1回のカウンセリング指導などを行っている。

 こうした金沢大学を始めとした専門医とフィットネス業界の連携実績を営業ツールとして活用し、行政からの公共施設の運営業務の委託獲得ならびにメディカル業務のプログラムやオペレーションを提案していくことも含め、新たな事業の柱に育てていきたい考えだ。


最大の財産は人脈
 「私の人生は50歳が折り返し点であったような気がしています。銀行に30年勤め、80歳まで元気で仕事ができれば、この仕事も30年やれることになります。これも創業以来、多くの皆さんに支援していただいたお陰で今日までやってくることができました」と感謝の念を忘れない。

 企業経営者として誰しもが思い描く夢が、株式の店頭公開である。吉田社長にとってもその思いは強く、年商30億円をその節目に設定し、自身及び社員の目標として邁進している。

 常にフィットネス業界の風雲児として、大胆かつ誰もやっていないことに先駆けて挑戦してきた吉田社長の企業家としての野望は留まるところを知らない。


商 号: (株)エイム
本 社: 石川郡野々市町御経塚4-10
設 立: 昭和62年
資本金: 7,000万円
従業員数: 50名
年 商: 約20億円(18年度見込み)

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