「石川発!お店探訪記」 九谷焼 鏑木商舗(金沢市長町) 金沢九谷の魅力を武家屋敷から世界に – ISICOお店ばたけプラスブログ

金沢・加賀・能登 頑張るお店 九谷焼 鏑木商舗 

金沢で九谷焼を商い187年目を迎える老舗・九谷焼 鏑木商舗が、長年親しまれてきた武蔵ヶ辻から長町の武家屋敷に本店を移して4年の歳月が流れた。この間、同店の商いに大きな変革が起こっていると聞き、八代目当主・鏑木基由氏を訪ね、新たな局面を迎えている九谷焼 鏑木商舗の商いを披瀝願った。

● 全ての始まりは東京分店から
鏑木氏が大学2年の時に先代が急死したため、而立(30歳)を迎えるあたりまで、九谷焼屋の後継ぎとして自分はどうあるべきか、どんな店づくりをすべきか、その思いをずっとノートに書きためていたという。
そこから見えてきた自らが理想とする店は、従来の武蔵の店では狭すぎて具現化できず、相応しい物件を探し求めていた。

そんなある日、東京の取引先から、『麻布十番に手頃な物件が空いているから見に来ないか』と誘われる。誘われると即行動する鏑木氏は、その日の夕方には飛行機に飛び乗り見に出かけた。立地のみならず、諸条件も申し分なかったことから、本店より先に東京・鏑木分店が誕生することとなる。

 

● 偶然が導いた人脈
「東京分店の新装工事に関わった人たちとお祝いにもらったお酒を店内で飲んでいたところ、偶然店の前を通りかかった近所のお客さんたちが『えっ飲めるの?』と入ってきたんです。

各々に自分の行きつけの店から出前を取ってくれ、大いに盛り上がり、その面々の中にいた大手メーカーの海外拠点の社長を歴任してきた人から、『ここに金沢の料理があったら、素敵なお客さんを連れて来てあげるよ』と言われ、なるほどと思い、それからというもの、お客さんがいろんな業界の素晴らしい方たちを連れて来てくれ、私は近江町で甘エビやカニなどを買い出しして東京に持って行き、酒盛りをするイベントを定期的に開くようになった。そのおかけで、素晴らしい方々との人脈がどんどん広がり、今日の商いに多大なプラス効果が出ている」と嬉しそうに語る。

 

● 東京分店に次いで金沢本店が
「東京・鏑木分店に来店するお客さんから、『金沢の店に遊びに行きたい』と異口同音に言われると、なおのこと武蔵の小さな店では役不足で、ゆったりとした空間で九谷焼を見てもらうスペースが欲しいとの思いが益々強くなっていた。

そんなある日、(株)イスルギの石動専務と飲んでいる時に、『金沢で広い敷地の古いお屋敷が借りられないかなぁ・・』と話したところ、『うちの会社で持ってますよ』と言われ、翌日見に来たのがこの建物で、あまりに朽ち果てていたため、これは直さないとかわいそうだと思い、修繕して再生することを決意したんです」としみじみと述懐する。

 

● ワイングラスに九谷焼の脚をつける
東京・鏑木分店ができて1歩前に出、金沢の本店が見つかり2歩目が出た。「石川県九谷の組合の副理事長としてメゾン・ヱ・オブジェの展示会担当を任された時、能美市にある九谷焼窯元の清水さんが、『ワイングラスに九谷焼の足がくっついたんですよ』と持ってきた。これは面白いと早速それを持ってフランスへ出かけたところ、珍しさもあって売れることは売れたが、『ワイングラスにいろんな形があるのはそれぞれ意味があり、ワインの特徴や味を引き出すために工夫されていることを勉強しないで、これをワイングラスと言ってはいけない』との厳しい指摘を受けた」と苦笑する。

厳しい意見がもらえたことはチャンスと捉え、帰国してすぐ国内にあるグラス製造卸しメーカー約20社にグラスと九谷焼のコラボレーションに協力してもらえないかという趣旨のメールを送り、数社から協力する旨の返信が届く。その中から1つのメーカーを選び、コラボがスタートした」という。

既製品のワイングラスのグラスと脚部分を切り離し、そこに九谷焼の脚を付ければいいと簡単に考えて始めたものの、あれだけ細い脚を作る轆轤技術が九谷焼にはなかった。様々な試行錯誤を繰り返し、ようやくステンレスで元型を作ることに辿り着く。ところが、「グラスは全てガラスでできているためあまり分からなかったが、いざ切ってみると、どれも微妙に歪んでいて、九谷焼の脚を付けるとなおさらその歪みが目立ち、商品にならない。これをどう補正したものか、悪戦苦闘しているところです」とやり甲斐をにじませる。

 

● 世界の檜舞台に見参
ワイングラスを作るには、まずワインのことを勉強しなければと、東京の知人にワインに詳しい人を紹介してもらい、東京・鏑木分店での食事会をワインの会にしたところ、東京でワインに造詣の深い錚々たるメンバーが集まり、日本で最も有名なワインバーのオーナー椿氏と知り合う。

そこからどんどん人脈が広がり、トントン拍子で事が運び、気が付くとロンドンでのIWC(インターナショナルワインチャレンジ)のパーティーに招待され、その席でワインの表彰と合わせて日本酒の表彰もあり、そこに九谷焼の脚を付けたワイングラスを持参してPRすることができたのである。

 

● ワイングラスの発想を日本酒に応用
そんな経験を経て、ワインにはその種類や産地に合わせて様々な形のワイングラスがあるのに、日本酒にはどうして種類ごとに専用のグラスがないのかという疑問が湧く。そこで、日本酒に合うようにリーデルの様々な形のグラスに九谷焼の脚をつけた15種類のグラスを試作した。それを全国各地の蔵元に送り、どのグラスにどのお酒が合うのかリサーチを進めているところで、早ければ今秋(平成21年)から本格的に日本酒の種類別に相応しいグラスとして発売する予定。

金沢市がユネスコのクラフト創造都市に認定されたタイミングでもあり、金沢発の新たなアイテムとして脚光を浴びることは請け合いだ。

 

● 欧州での商いには伝統工芸の商社が不可欠
このワイングラスは、九谷焼 鏑木商舗がこれからどんな方向へ行くのか、それを決める一つの商品であると捉えている。
「日本酒用のグラスは順調に行くと思うが、ワイングラスは海外への輸出を考えると、海外にショップを持たないと商いはできない」と課題を指摘。ヨーロッパで販売することを考えた場合、日本から毎回仕入れないといけない現状では、言葉の問題もさることながら、毎回の注文個数によって運送代が異なり、それを商品価格に転嫁できるはずもなく、商いとして成り立たない。こうした問題を解消するには伝統工芸の商社を現地に作るしかなく、経済産業省にその実現を働きかけているところでもある。

 

● 八代目は基礎と由来を見直す役回り
鏑木氏の本名は誠一だが、先代高島玉洲氏に長男の名前を付けてもらった際、『子供に付けた啓右(けいすけ)という名前を活かすも殺すも父親の名前次第だ』と言われ、『基由』という名前を書いて渡されたという。
「基由とは基礎と由来であり、鏑木の八代目として基礎と由来をもう一度見つめ直すのが自分の役割だと素直に受け入れられた」と振り返る。歴史的に見ても、室町幕府や徳川幕府は八代目が世直しをしている。つまり今は九谷焼 鏑木商舗を大きく変える時にあたり、武蔵から長町の武家屋敷に本店を移し、東京に分店を作り、ワイングラスという新たな柱を作ろうとしている。

まさに基礎と由来を作り替えていることを実感しつつ着実に歩を進める鏑木氏の次なる一歩はいかに・・・・。

 

インタビューを終えて・・・
人生はいい人、いいものと出会えるかどうかで大きく異なってくる。文字通りそれを実践し、人脈を最大限に活かし成功しているのが九谷焼 鏑木商舗である。東京・鏑木分店での食事会が様々な人脈を生むきっかけとなり、そうした人たちの受け皿が武家屋敷の金沢本店。理想的なビジネスモデルではないだろうか。

タイトルとURLをコピーしました